「休むほどのことじゃない」と言われた、あの朝のこと
十六年連れ添った猫が、冬の終わりに息を引き取った。私は五十を過ぎた男で、単身のアパートで一人、その子と暮らしてきた。手のかからない子だったけれど、朝、目を覚ますと足元にいる、それだけで一日が始まった。
亡くなった翌朝、私はできるだけ早く見送ってやりたくて、火葬の予約を昼に入れた。仕事は年度替わりの落ち着いた時期で、この数週間、机に向かっても書類を眺めて時間をつぶすような日が続いていた。だから有休を取っても差し支えないと判断して、直属の先輩に電話をした。
「今は落ち着いてるから休むのは構わない」と、最初はそう言ってくれた。ところが理由を聞かれ、猫の火葬だと答えた途端、声色が変わった。「そんなの急がなくていいだろう」「普通は休む理由にならない」「一応、課長にも確認しておこうか」と言い出したのだ。
通院や家の用事なら通るのに、なぜこれは駄目なのか。ペットの話になると態度を硬くする人がいることは知っている。でも今回はこちらが感情的になったのではなく、向こうが動揺して、私の正当な権利を否定してきたように感じた。私は間違っているのだろうか。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:まず、十六年ですよね。人でいえば、赤ちゃんが高校生になるまでの時間です。その朝、足元にいた重みが急になくなって、それでも「早く見送ってあげたい」って動いた。その手際のよさの奥に、どれだけの気持ちが押し込められていたか。私をそこに、まず座らせてください。あなたは正しいとか間違ってるとか、その前に疲れきっていたんじゃないですか。
アキ:私、これ読んで胸のあたりが熱くなったよ。だってさ、一番弱ってる朝に勇気出して電話したんだよね。「休んでいい」って一回言われて少しほっとした瞬間に、理由を言ったら手のひら返された。それってただ有休を渋られたんじゃなくて、「あなたの悲しみはそんなに大事じゃない」って言われたのと同じなんだよ。傷つくの、当たり前だよ。
ケンゴ:気持ちの部分は、二人の言う通りだと思う。その上で、制度の話を切り分けておきたい。日本の年次有給休暇は労働基準法上、原則として取得理由を問われない権利だ。銀行だろうと火葬だろうと、本来は理由の優劣で許可・不許可が決まるものではない。だから「休む理由にならない」という言葉は、法的には根拠が薄い。ここはあなたが引け目を感じる必要のない部分だ。
アキ:でしょ? ケンゴがそう言ってくれると心強い。
ケンゴ:ただ──アキの言うことも分かるんだが、一つだけ。相手を「悪意で否定してきた敵」と固定してしまうと、この先この人と働き続けるのがしんどくなる。その先輩は、悲しみの扱い方を知らなかっただけかもしれない。これは擁護じゃなく、構造の話だ。
サキ:ケンゴさんの言うことも分かります。ただ──私はその「知らなかっただけ」で片づけられると、傷ついた側の朝がなかったことになる気がして。理屈で正当性が証明されても、電話の三分間で削られたものは戻らないんですよね。だから私はまず、火葬に間に合ったのか、ちゃんと見送れたのか、そこを一番に聞きたいんです。
ケンゴ:……それは私の見落としだった。正しさより先に、まず見送りが済んだかどうかだな。
サキ:ええ。制度の正しさはあとから何度でも取り返せます。でも、あの日あの時間は、一度きりだから。
自分に問いかけるロードマップ
- 私はいま、「有休が認められなかったこと」に怒っているのか、それとも「悲しみを軽く扱われたこと」に傷ついているのか。この二つを分けて見れているだろうか。
- 相手の言葉を「悪意」と受け取っているが、それは「無理解」だった可能性はないか。どちらであっても私の悲しみが小さくなるわけではないと、自分に言えるだろうか。
- 正しさを証明したい気持ちの奥で、本当は「あの子を見送ったことを、誰かにちゃんと認めてほしい」と思っていないか。
本日の羅針盤
答えは一つに絞らなくていいと思います。
制度の面ではケンゴの言う通り、あなたは何も間違っていません。理由の重さで有休の可否を決める権限は、本来その先輩にはありません。ここは堂々としていていい部分です。
けれど、あなたがこの相談を書いたのはたぶん、「勝ち負け」を判定してほしかったからではないはずです。サキが座り込んだ場所――十六年の重みをあの朝、たった一人で抱えて電話をかけた、その事実。そこにこそ、本当に労(いた)わられるべきものがあります。
正当性は後日、あらためて会社の制度として確認すればいい。でも今夜だけは、正しさの証明より先に見送りを終えた自分をねぎらってあげてください。悲しみに理由の優劣はありません。あなたが早く見送ってやりたいと思ったこと、それ自体が十六年分の愛情の証明です。





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