「世界が嘘っぽい」は病気?離人感・現実感消失を経験したあなたへ

第三章:あなたが今夜、眠る前に

ケンゴ──「現実を”信じる”必要はない」

最後にひとつ、私の考えを言わせてくれ。

あなたは「この世界は本物か」と問い続けている。その問いの奥には、暗黙の前提がある。「本物だと確信できなければ、自分はここで安心して生きられない」──そういう前提だ。

だが、よく考えてみてほしい。朝起きて歯を磨くとき、歯ブラシが実在するかどうか確認してから磨く人間はいない。駅の改札を通るとき、改札が仮想オブジェクトでないことを証明してからタッチする人間もいない。人間は世界を「信じて」から動いているのではない。動いた結果として、世界がそこにあることを事後的に了解している。

つまり、信じるのが先ではなく、触れるのが先だ。歯ブラシの柄の硬さ、改札機のタッチ音、靴底が地面を押す反発力。そうした感触の蓄積が、「まあ、ここにいるらしい」という了解を作る。確信ではない。了解だ。人間は確信がなくても生きていける。了解があれば十分だ。

だから、あなたに必要なのは「世界は本物だ」という結論ではないだろう。「今日も歯を磨いたら、口の中がすっきりした」という、ただそれだけの了解の積み重ねだと思う。

アキ──「調べたこと、ちゃんと残しておいてね」

ケンゴの話、重かったけどすごくわかる。私からはもう少し軽い話をさせて。

あなた、相談文の中で「ネットで調べると離人症とか解離とか出てくる」って書いてたよね。それ、すごく大事なことをもうやってるんだよ。自分の状態に名前をつけようとしている。
名前がつくと、人は少し楽になる。「原因不明の不気味な感覚」と「離人感という、多くの人が経験しうる現象」では、同じ感覚でも重さが違う。

だからね、もし今後また調べることがあったら、メモに残しておくといいよ。「こういう感覚が来た」「何時頃だった」「何をしていた」「どのくらい続いた」。日記みたいに丁寧に書く必要はなくて、スマホのメモ帳に一行でいい。

それがあると、もし医者に行くことになったときに、自分の状態を説明しやすくなる。そして何より、「この感覚に対して、自分は何もできない」という無力感が少し減る。記録すること自体が、ひとつのアクションだから。

サキ──「相談してくれたこと自体が、もうすでに」

アキの言う通りですよね。そして、もうひとつ言えることがあるとすれば──あなたはすでに、この場に相談を書いたんですよね。

「世界が嘘っぽい」と感じている人がその感覚を言葉にして、誰かに向けて送信した。それは世界との接点を、自分から作りにいった行為ですよ。嘘っぽいと感じている世界に向かって、「聞いてくれ」と手を伸ばした。その矛盾の中に、あなたが「ここにいたい」と思っている気持ちがにじんでいるように私には読めました。

だから、次に足を踏み出すなら、同じことをもう一回やればいいだけです。今度は病院の受付で。「現実感がなくなることがあるんです」──その一言でいい。その先は、専門家が一緒に考えてくれます。

シオン──「朝が来ても、問いは消えない。それでいい」

最後に、ひとつだけ。

この先、あなたが医師に相談しようと、しなかろうと、この問いはおそらく完全には消えない。ふとした瞬間にまた、「この世界は本物なのか」と感じる夜が来るだろう。それは治療の失敗ではないし、あなたの弱さでもない。

人間は、自分の意識を外側から眺めることができてしまう生き物だ。自分が見ているものを「見ている自分」をさらに見つめることができる。その再帰的な構造がある限り、「これは本物か」という疑念は、原理的に発生し続ける。それは人間の仕様のようなものだ。

だから問いが戻ってきたとき、こう思ってみてほしい。「ああ、また来たのか」と。
敵としてではなく、古い知り合いとして。かつてデカルトも、パトナムも、そしておそらく名前の残っていない無数の人々も、同じ客を迎えたことがある。あなたはその長い列の中にいる。

そして、その問いが訪ねてきた夜には──サキが言ったように、冷たい水で顔を洗ってみるのもいい。ケンゴが言ったように、歯を磨いて口の中のすっきりした感触を味わうのもいい。アキが言ったように、スマホのメモ帳に一行、書くのもいい。

答えが出なくても、朝は来る。その朝に布団から足を出して、床の冷たさを踏む。それだけのことが、世界との和解の一歩になることがある。和解というのは、「信じる」ということではない。「信じられないまま、ここにいる」ということだ。

それで十分ではないだろうか。

第三章の核心──あなたへの最後の言葉:

世界が本物かどうか、誰にもわからない。あなたにも、私たちにも、哲学者にも、医師にも。
しかし、「わからない」ことは「生きられない」ことを意味しない。

あなたが今夜できることは三つある。
一、この感覚が来たとき、身体に意識を戻す手段をひとつ持っておくこと(冷水、氷、足裏の感触、深い呼吸)。
二、感覚が来た日時・状況・持続時間を一行メモに残すこと。
三、もし生活に支障が出ているなら、精神科もしくは心療内科で「現実感がなくなることがある」と伝えること。

これらは「世界の真偽に決着をつける」行為ではない。「答えのない問いを抱えたまま、自分の生活を守る」行為だ。あなたがこの相談を書いた時点で、その一歩目はすでに踏み出されている。

出典(全章通し)

  • ルネ・デカルト『省察』(1641年)── 方法的懐疑と「コギト・エルゴ・スム」の原典
  • ヒラリー・パトナム『理性・真理・歴史』(1981年)──「水槽の中の脳」思考実験の出典
  • ICD-11(国際疾病分類第11版、WHO)── 離人・現実感消失症の分類コード: 6B66
  • DSM-5(精神疾患の診断・統計マニュアル第5版、アメリカ精神医学会、2013年)── 離人感・現実感消失症の診断基準

コメント

タイトルとURLをコピーしました