「神」「エグい」に心がざわつく私へ。言葉の赤入れをやめたら見えてきたもの

「神」と言われるたびに、心の中で赤を入れてしまう私へ

十一月の山陰は、朝から時雨が降ってはやみ、また降ります。クリニックの受付に座って十四年、患者さんの名前も薬の名前もすっかり頭に入りました。困っているのは、そういうことではありません。

私は五十六歳。離婚して十年、娘は県外に嫁ぎ、今は猫と二人暮らしです。昼の休憩室で二十代の医療事務の子が、「この人の血圧エグい」と言いました。
エグい。私は湯呑みを持つ手が止まって、ほうじ茶の湯気の向こうでその子の口元をじっと見てしまいました。高いのなら高い、危ないのなら危ないと言ってほしい。「エグい」では、何ひとつ分からないではありませんか。

ほかにもあります。「バズった」「〜すぎる」、そして「神」。同世代の友人が旅先の写真を見せながら「この宿、神」と言ったときは、正直その宿への興味がすっと消えました。見事だ、有り難い、そう言ってくれたら私はうなずけるのに。

週に一度通っている合唱サークルで、同じパートの男性にそのことを少し話しました。彼は笑って「あなたは人の言葉のあらを探す癖があるね」と言いました。あらを探しているつもりはありません。ただ、耳が勝手に立ち止まってしまうのです。

おかしいのは、自分がその言葉を避ければ避けるほど、周りの人がやたらと使い出すことです。今日も三回聞きました。数えている私も、どうかしているのでしょう。

これは何なのでしょうか。そして、私はどうすればこの言葉たちを受け入れられるのでしょうか。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ: まず、事実を二つに分けたい。一つは「特定の語彙に身体が反応する」という現象。もう一つは「そのことで人間関係に摩擦が生じている」という結果だ。この二つはしばしば混同されるが、対処法はまったく違う。前者は感覚の問題であり、変えるべきものかどうかも分からない。後者は運用の問題であり、これは変えられる。

アキ: うん、でもね。私、正直に言うと「エグい」も「神」も普通に使う側の人間なんだよね。だからこの相談、ちょっと胸が痛かった。私が友達に「この宿、神だった」って言うとき、あれは情報を伝えてるんじゃなくて、興奮した体温をそのまま渡してる感じなの。細かく説明したらその熱が冷めちゃう感じかな。

サキ: 分かりますよ、アキさんの言うこと。私も子どもの前で「今日ヤバかった」と口が滑りますし。ただ、この方が受付に十四年座っておられるという事実は、少し重く受け取りたいんです。血圧の数値を名前と生年月日と一緒に十四年扱ってきた人にとって、数字は「エグい」で丸められない。長年の仕事の中で、自然とプロの感覚が体に染みついているんだと思うんですね。

ケンゴ: サキさんの指摘は的を射ている。私の職場にも、図面の公差を〇・〇一ミリ単位で見てきた技術者がいる。彼は「だいたい大丈夫です」という報告を聞くと顔色が変わる。語彙への嫌悪ではなく、精度への敬意だ。相談者の反応も、同じ構造だと私は考える。

アキ: ……ケンゴさんの言うことも分かるよ。ただ、それを認めた先が怖いんだよ。「私の耳は正しい、あの子の言葉は雑」って結論になったら、その休憩室、もう誰も湯呑み持って入ってこられなくない? 「正しさ」って、けっこう人を追い出すよ。

ケンゴ: そこは同意する。だからこそ「変えられるのは運用だけだ」と私は最初に言った。感覚は矯正しなくていい。ただし、感覚を根拠に他人の口を裁き始めた瞬間、失うものが増える。あなたが合唱の彼から「あらを探す癖」と言われたのは、内心が漏れたということだ。人は言葉を訂正されなくても、訂正されそうな空気は正確に嗅ぎ分ける。

サキ: 厳しいことを優しく言われましたね。私は少し違う角度から。この方の「やめてほしい」の下に、本当は別の願いがあるように読めるんです。丁寧に扱われたい、雑に流されたくない。離婚から十四年、娘さんとも遠く猫と二人。言葉の粗さが、自分の扱われ方の粗さに聞こえてしまう日もあるでしょう。

アキ: それ、あるよね。私も余裕がない週って、後輩の「了解です!」の「!」にまでイラッとするもん。言葉が気になる日って、だいたい自分の体力が減ってる日なんだ。

ケンゴ: ご本人が最も知りたがっている点に戻りたい。「避ければ避けるほど周りが使い出す」という現象について。これは相手が増やしているのではなく、あなたの検出器の感度が上がっている。避けるとは、意識の網を張ることだ。網を張れば、通過するたびに引っかかる。以前は素通りしていた分が、記録され始めただけだ。「今日は三回聞いた」と数えられている事実が、そのまま証拠になっている。

シオン: 面白いのはその方が三回とも、正確に聞き取っておられることだ。嫌いなものほど、私たちは丁寧に聞く。憎むという行為はじつのところ、注意深さの一種なのかもしれない。……ならばその注意深さを何に向けるかは、まだ決まっていないということでもある。

自分に問いかけるロードマップ

  • その言葉を聞いた瞬間、身体のどこが最初に反応するか。喉か、肩か、こめかみか。
  • 相手が誰でも同じ強さで反応するか。それとも特定の人物のときだけ強くなるか。
  • 自分がその言葉を使わずにいることで、何を守ろうとしているのか。品位か、職業の誇りか、それとも「雑に扱われない自分」か。
  • 「やめてほしい」の中身は語彙の訂正なのか、扱われ方の要求なのか。
  • 十四年前、緊張しながら初めて数値を読み上げた日の私は、今の私から見てどうだったろうか。

本日の羅針盤

ケンゴの見立て: 受け入れる必要はない。ただし、裁くのはやめたほうがいい。「私はこの言い方が好きではない」と「あの人の言い方は間違っている」の間には、関係が壊れるか壊れないかの分岐がある。感覚は私物として持ち歩き、公道には出さない。それだけで摩擦の大半は消える。

アキの見立て: 苦手なままでいいと思う。ただ、一回だけ翻訳してみてほしい。「エグい」の下にあるのは、たぶん「私、驚いた」なんだ。単語じゃなくてその子の驚きに返事をしてみたら、休憩室の空気が変わるかもしれないよ。

サキの見立て: まず、ご自身の体力を確かめてください。言葉が刺さる日と刺さらない日があるなら、問題は語彙というより、その日の余裕の量なんですね。時雨の季節に一人で十四年働いてきた方に、私が言いたいのはそれくらいです。

シオンの余韻: 言葉を選ばぬ人と、言葉を選び過ぎる人。どちらも伝わらなさに耐えている点では同じ場所に立っている。

なお、音や言葉に過敏になりすぎ、仕事や生活の支障になるほど疲れが続く場合には、心療内科や臨床心理の専門機関への相談もご検討ください。感覚の特性として整理できると、対処がずいぶん楽になることがあります。

参考情報

  • 「言語学者アーノルド・ズウィッキーが提唱した『頻度錯誤(frequency illusion)』の概念」(言語学ブログ Language Log、2005年)── ある表現を意識した直後から、その表現が急に増えたように感じられる認知の偏りを指す用語として実在します。
  • 「選択的注意に関するコリン・チェリーの初期研究(1953年)」── いわゆるカクテルパーティー効果。多数の音声の中から特定の情報だけを抽出する聴覚の働きについての古典的研究です。

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