その手書きノートは、たぶん「勉強」ではなく「準備運動」だ
四十三歳、独り身。地方の食品工場で設備の保全をしている。この春、上司から「電気工事士の資格を取ってくれ」と言われた。試験まで、あと二か月ある。
夜勤明けの日は、まず駅前のコンビニでコピー機の前に立つ。過去問を三年分、一回につき三ページずつ刷る。トナーの熱でまだ温かい紙を鞄に入れて帰る、あの瞬間だけは気分がいい。
部屋に戻ったら、いきなり問題は解かない。まずテキストを開いて、B5のノートに要点を書き写す。図記号は定規を当てて描く。線が曲がると、そのページごと破って書き直す。そうやってノートを作り終えてから、過去問を何度も繰り返す。これが私のやり方だ。
ただ、休憩中にスマホで「資格 勉強法 効率」と調べるたびに、自信がなくなる。ノートまとめは無駄だと書いている人がいる。いや、書かないと定着しないと言う人もいる。どれが本当なのか分からない。
このやり方で、本当に頭に入っているんだろうか。もっといい方法があるなら、教えてほしい。
よりみちナビゲーターの対話
ケンゴ: 先に結論を言う。今のやり方は間違ってはいない。ただし、順番と時間配分に無駄がある、と私は思う。ノートに要点を書き写す作業は、頭に入れる工程ではない。テキストの情報を、別の紙に移動させているだけだ。この段階で試験までの残り時間のかなりの部分を使ってしまうと、肝心の「思い出す訓練」に回す分が減る。
アキ: うーん、私はちょっと違うかな。ケンゴさんの言うことも分かるよ。でもね、コピー機の前で温かい紙を鞄に入れる瞬間が気分いいって、そこ、すごく大事だと思う。
夜勤明けの人が机に向かえるって、それだけでもう相当なことだよ。ノートを作る時間はたぶんこの人にとっての助走なんだよね。それを「無駄」って切り捨てたら、机の前に座る理由ごと消えちゃう気がする。
ケンゴ: 助走が必要だという指摘は認める。私も四十を過ぎてから講習を受け直したことがあるから、いきなり問題集を開く重さは知っている。ただ、線が曲がったからページごと破っている。それは助走ではない。目的が「理解する」から「綺麗なノートを完成させる」にすり替わっている状態だ。二か月しかないなら、そのすり替わりには気づいたほうがいい。
サキ: お二人の話、どちらも分かります。ですよね、私も昔、育児の合間に資格を取ろうとして、テキストの色分けだけで三週間使ったことがあります。あれ、勉強していないと不安だから、手を動かして安心していたんですよね。
……ただ、一つ気になっていることがあって。この方は夜勤があるんですよね。睡眠時間を削って机に向かう前提の計画だと、二か月もたないと思うんです。効率の話をする前に、週に何日、何時間なら無理なく確保できるのか。そこが決まらないと、どんな方法も絵に描いた餅になります。
ケンゴ: その通りだ。私が言いたかったことの土台を、サキさんに先に言われた形になる。
具体的に組み替えるなら、こうだ。まずノートを作らずに過去問を解く。当然、最初は解けない。解けなかった問題に関係する箇所だけ、テキストに戻って確認する。書くのはそのときだけでいい。理解の穴が開いた場所にだけ、書き込みを足していく。全体を写す必要はない。
アキ: それ、けっこう怖くない? 解けないって分かってる問題を最初に開くのって、しんどいよ。
ケンゴ: しんどい。だが、その「解けなかった」という手応えが記憶の引っかかりになる。順番を入れ替えるだけで、同じ時間でも残るものが変わる。
サキ: ところでこの方、上司に「取ってくれ」と言われて始めたんですよね。ネットで勉強法を延々と調べてしまうのは、方法を探しているというより「これで大丈夫」と誰かに言ってほしいからじゃないでしょうか。私にはそう読めました。
自分に問いかけるロードマップ
- ノートを書いている最中、私は何を確認していたのか。内容だったか、それとも「今日もやった」という事実のほうか。
- 線が曲がったページを破ったとき、誰の目を気にしていたか。
- 「効率のいい方法」を検索するとき、本当に探しているのは方法か。それとも許可か。
- 来週の水曜日、夜勤明けの私は現実に何分、机の前に座れるのか。
本日の羅針盤
ケンゴの視座: まとめノートは準備運動であり、本番ではない。問題を先に解き、間違えた箇所だけテキストを開く。この順番の入れ替えが、残り二か月で最も費用対効果の高い一手だ。
アキの視座: 助走をゼロにする必要はない。ただ、破って書き直す手が動きはじめたら、それは集中ではなく不安のサインとして扱っていい。
サキの視座: 続く量が正解の量です。夜勤明けの日は過去問三問だけと決めてしまうほうが、二か月後の自分を助けます。
方法は一つに定まらなくていい。定まっていないのはあなたの頭が悪いからではなく、条件が人によって違うからです。
参考情報リスト
- Dunlosky, J. et al. (2013) “Improving Students’ Learning With Effective Learning Techniques: Promising Directions From Cognitive and Educational Psychology,” Psychological Science in the Public Interest, 14(1). ※要約作成やハイライトより、想起練習と分散学習の有効性が高いと評価した論文。
- Roediger, H. L. & Karpicke, J. D. (2006) “Test-Enhanced Learning,” Psychological Science, 17(3). ※繰り返し読むより、テスト形式で思い出すほうが長期保持に有利であることを示した研究。





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