「神」「エグい」に心がざわつく私へ。言葉の赤入れをやめたら見えてきたもの

最終章 その耳のまま、五十七歳になる

十二月に入りました。山陰の空は毎日ふたが閉まったようで、朝、猫が布団から出てきません。

合唱サークルの忘年会がありました。あの日「あらを探す癖がある」と言った男性が、隣の席になりました。避けようと思っていたのに、席順のくじで隣でした。彼は日本酒をすすりながら、「あれ、悪かったね」と言いました。私が黙っていると、「僕は言葉なんてどうでもいい人間だから、あなたが何を大事にしてるのか分からなかった」と続けました。

分からなかった、と言われて、はじめて胸のあたりがゆるみました。分かってもらえなかったのではなく、伝えていなかったのだと気づきました。私は十年、誰にも説明しないまま、心の中で赤を入れ続けていたのです。

職場であれから、一度だけ訊いてみました。「エグいって、どのくらい?」。佳奈ちゃんは一瞬止まって、それから「上が百八十超えてて、ご本人がけろっとしてるのが怖かったんです」と答えました。私は、ああそれは怖いねと言いました。本当にそう思ったからです。

受け入れられたわけではありません。今日も三回、聞きました。ただ、数えたあとに舌打ちをしなくなった気がします。これは進歩と呼んでいいのでしょうか。

よりみちナビゲーターの対話

ケンゴ: 結論から述べる。それは進歩だ。ただし、あなたが期待していた種類の進歩ではないだろう。あなたは「受け入れられるようになりたい」と書いていた。三章を通して私が申し上げてきたのは、その願いは達成しなくてよい、という一点だ。
今回起きたのは、嫌悪の消滅ではない。嫌悪と行動の切り離しだ。聞こえる、引っかかる、しかし舌打ちはしない。これは感情の変化ではなく、運用の成立である。私はこちらのほうを、はるかに高く評価する。

サキ: 私は少し違うところに目が留まりました。「上が百八十超えてて、ご本人がけろっとしてるのが怖かったんです」。あの答え方、丁寧じゃありませんか。佳奈さんはちゃんと具体的に話せる人だったんですね。話す相手がいなかっただけで。

アキ: それ、私も思った。「エグい」って言ってた子が、訊かれたら数字で答えたんだよね。ってことは、あの子の中にはちゃんと中身があって、外に出すときだけ圧縮してたってことなんだ。私も同じことしてる。省略って雑さじゃなくて、速度なんだよね。

ケンゴ: その指摘は、私の見方を一つ広げてくれた。私はこれまで粗い言葉を、「情報の欠落」と捉えていた。だが「圧縮」であるなら、展開する手続きさえあれば情報は失われていない。相談者が行った「どのくらい?」は、展開のコマンドだ。ならばこれは相手の欠陥を補う行為ではなく、正当な情報要求ということになる。

アキ: ……ちょっといい? ケンゴさんの整理はきれいだと思う。ただ、私はそこに引っかかるんだよ。全部を「情報」として処理しちゃうと、こぼれるものがあると思う。佳奈ちゃんの「怖かったんです」って、情報じゃないの。あれ、感情だよ。血圧の数字より、けろっとしてる患者さんを見て怖くなった二十代の子の心のほうが、そのときの答えの本体でしょ。森さんが「それは怖いね」って返したのは情報の受け取りじゃなくて、怖さの受け取りだったと思うんだ。

ケンゴ: ……そのとおりだ。私は最も重要な部分を見落としていた。相談者が返したのは確認の言葉ではなく、共感の言葉だった。二人の関係が動いたのはそこだ。訂正する。私の枠組みでは、あの場面は説明できない。

サキ: ケンゴさんが引き下がるところ、はじめて見ましたね。

ケンゴ: 事実に負けるのは、恥ではない。

サキ: ええ。それに合唱の彼の言葉も同じ性質だと思うんですね。「あなたが何を大事にしてるのか、分からなかった」。あれは謝罪の形をしていますが、中身は問いです。この方は十年、説明しないまま裁いていたと書かれました。でも私は、説明しなかったことを責める気になれません。五十六歳まで一人で立ってきた人が、自分の感覚を人に説明する言葉を持たなかったのは当たり前のことなんですね。誰にも訊かれなかったのですから。

アキ: うん。だからこれからは、訊かれたら答えられるってだけでじゅうぶんじゃないかな。「私、丸めた言い方が苦手なの。仕事で数字ばっかり見てきたから」って。それ言えたらたぶん、誰も「あらを探してる」とは思わないよ。

ケンゴ: 同意する。最後に一つだけ、実務的な助言を残したい。この先も、苦手な言葉は減らない。むしろ増える。新しい言葉は毎年生まれ、あなたは毎年少しずつ、その生成の現場から遠ざかる。それは避けられない。
だから、対処法を一つ持っておくといい。──あなたが「どのくらい?」と訊けるのは職場だからだ。合唱の席や、娘さんとの電話では訊けない。訊けない場面のための言葉を、一つ用意しておくべきだ。「私はその言い方が分からないけれど、あなたが嬉しかったことは分かる」。これでいい。理解と受容を分けて、後者だけ渡す。

シオン: 三回聞いて、三回とも聞き逃さず、そして何も言わなかった。──それは我慢とも呼べるが、聴く行為とも呼べる。名前のつけ方だけが、まだあなたに残された自由なのかもしれない。

自分に問いかけるロードマップ

  • 「あなたが何を大事にしてるのか、分からなかった」と言われたとき、胸がゆるんだのはなぜだったか。
  • 十年、説明しなかったのは諦めていたからか。それとも、説明する相手を守っていたからか。
  • 佳奈さんの「怖かったんです」に、私は何を返したのか。確認だったのか、返事だったのか。
  • 訊けない場面で使う言葉を、私は自分の口に馴染む形で言い換えられるか。

本日の羅針盤

ケンゴの見立て: 受け入れる必要はなかった。必要だったのは、嫌悪と行動を切り離す運用だ。それはすでに成立している。舌打ちしなくなった一点で十分だ。感覚は最後まで矯正されない。それでいい。人間関係で問われるのは内心ではなく、内心をどう扱ったかだけである。

アキの見立て: 「エグい」の下には、いつも誰かの驚きか怖さがある。そっちに返事をすればいいだけなんだよね。単語は好きにならなくていい。その人のことは、たぶんもう好きになってるでしょ。

サキの見立て: 説明してこなかった十年を、悔やまないでください。訊かれる機会が、たまたま今年まで来なかっただけなんですね。忘年会のくじで彼と隣になったこと、それは悪いくじではなかったと思います。

シオンの余韻: 引っかかる耳と、聞き逃さない耳。どちらも同じ器官だ。──ふたの閉まった空の下で、猫が布団から出てこない冬に、それを確かめる時間だけはたっぷりある。

なお、言葉や音への過敏さが年々強まり、日常の交流を避けるほどになった場合には、心療内科や公的な相談窓口の利用もご検討ください。特性として整理できると、対処は必ず楽になります。

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