「言っても分からない」の本当の意味。理解を超えた関係を育むコミュニケーション

第二章 「わかるように崩す」という、終わらない作業

よりみちナビゲーターの対話

アキ:第一章で、彼女は見下してるんじゃなくて縮んでる、って話をしたよね。ここをもう少し具体化したい。私ね、専門を持ってる人が身近な人に自分の仕事を話すときって、二重の作業をしてると思うんだ。話す内容を選ぶ作業と、相手の顔を読む作業。同時にやると、どっちも雑になる。だから体が勝手に片方を切る。目を伏せるのは、たぶんそっちだよ。

ケンゴ:構造として補足しておく。研究の世界で評価されるのは、正確に語ることだ。条件を省略せず例外を明記し、断定を避ける。それが訓練の中身だ。ところが日常会話でそれをやると話は死ぬ。長く、細く、聞き手の目から光が消える。
彼女は三年間、その二つの相反する規範のあいだで、毎回自分の言葉を削っている。削るたび「これは正確ではない」という罪の意識が残る。うつむくのは、その後始末をしている姿だと私は見る。

サキ:「なるべく崩して話してるんだけど」という言葉に、全部出ていますよね。あれは努力の申告なんです。うまくいっていない努力の。……私、下の子が小さかったころ、夫に仕事の話をされてまったく頭に入らなかった時期がありました。それで夫が、ある日から話さなくなったんです。私を軽んじたわけじゃなくて、疲れさせたくなかったんだと後から聞きました。あれは寂しかった。彼女はまだ、話してくれているんですよね。うつむいてでも。

アキ:それ、大きい。話すのをやめてない人だ。

ケンゴ:ここで一つ、久雄さんに実務的な提案をしたい。「わからないだろう」という彼女の予測を、こちら側から壊すことだ。方法は簡単で、聞いた話の中から一語だけ覚えて、後日使う。「先週の四角い音符の話だけど」でいい。専門家にとって、自分の言葉が相手の中に残っていたと知る経験は相当に効く。

サキ:ケンゴさんの案は良いと思います。ただ──やり方には気をつけたいですね。理解のテストみたいになると、彼女はもっと縮みます。「私、ちゃんと聞いてるよ」を証明しにいくのではなくて、ただ思い出した話を、ご飯の途中でこぼす程度がいいと思うんです。

アキ:うーん、私はそこ、サキさんと少し違う。もう一度ちゃんと言葉にして聞いてほしい。「見下されてるのかと思って、悲しかった」って。仕草の意味を推測で埋めるのって、けっこう危ないよ。三年目に生まれた小さな誤解が、五年目の「もう話さない」に育つことがある。

サキ:アキさんの心配は、私にもわかります。ただ、この人はすでに一度、問われて答えられなかったんですよね。答えられなかった人にもう一度同じ問いを向けると、今度は「答えられない自分」を責め始めます。台所で洗い物をしながら考え続けるようなことになる。生活の中で人を追い込む問いって、そういう形をしているんです。

アキ:……でも、黙ってたら久雄さんが台所で考え続けることになるよ。どっちかが抱えるなら、二人で抱えたほうがいい。

サキ:ええ。そこはそうですね。問い方を変える話にしましょう。「どうして目を見ないの」ではなく、「あなたが下を向くとき、私は何を思えばいい?」なら、彼女は答えやすいかもしれません。

シオン:久雄さんは「わからない話でも聞いているのが楽しい」と書いておられた。この一文を、私は本日いちばん重く受け取っている。わかることを目的にしていない人がそこに座っている。それはこの世で、かなり珍しい席の座り方だ。

アキ:ほんとだね。久雄さん、それは能力じゃなくて態度なんだよ。すごいことだと思う。

自分に問いかけるロードマップ

久雄さんへ。答えを出さなくていい問いを、五つ置いていきます。

  1. 彼女がうつむくのを見て、私が本当に恐れているのは何だろう。「軽んじられること」か、それとも「あの人の世界に入れてもらえないこと」か。
  2. 三年間、私は「わからない」と口に出したことがあるだろうか。それとも、わかった顔を作ってきただろうか。
  3. 私が仕事の話をするとき──倉庫の温度管理や傷んだ果実の見分け方を話すとき、彼女はどんな顔で聞いているだろう。
  4. 「言ってもわからないだろうから」の主語を彼女自身に置き換えて読み直すと、あの言葉はどう聞こえるだろう。
  5. 私は彼女に、理解を差し出したいのか。それとも、一緒にいる時間を差し出したいのか。

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