エピローグ 顎を上げたまま話す人を、はじめて見た
わからないままでいた三年が、耳のほうから返ってきた
十一月の日曜。公民館の第二和室で、合唱団の女性たちが《流浪の民》を練習していました。私は例のとおり裏方で、パイプ椅子を数えたり湯呑みを並べたりしていました。
それが途中で、手が止まったのです。
声が四つに分かれて、それぞれ勝手な高さで動いているのに、ある一瞬だけ床のほうから押し上げるような厚みが出る。畳の目に沿って、下から来る。うまく言えません。ただ、私の胸のあたりが勝手に締まって、湯呑みを持った手が動かなくなりました。楽譜は読めません。何が起きたのかもわからない。それでも、確かに揺すられたのです。
帰り道、駅前の蕎麦屋で私はそれを彼女に話しました。うまく言えないので、「床から来た」とだけ言いました。
彼女は箸を置いて、それから笑ったのです。
「それ、たぶん和音が閉じた瞬間ですよ」
そこから彼女は、堰が切れたように話し始めました。中世の人たちは三度の音を汚いと考えていたこと、聖堂の石壁が特定の高さの音だけを長く残したこと、だから五度と八度ばかりの音楽が生まれたこと。声を重ねるという行為が、そもそも記録される前から人間の身体にあったこと。
私にわかったのは、三割もありません。
ただ、彼女はうつむいていませんでした。
顎を上げて、私の目を見て、割り箸を五線の代わりに卓に並べて、時々「あ、ここ大事なんです」と身を乗り出してくる。上目遣いはありません。私が理解しているかどうか、確認していなかったのです。彼女はただ、話し続けます。
天ぷらが冷めました。私はそれを見ながら、妙に泣きたくなりました。
話が途切れたとき、彼女がふいに止まって自分の並べた割り箸を見下ろしました。
「……私いま、久雄さんがわかるかどうか考えていませんでした」
はい、と私は言いました。
「三年、ずっと考えていたんです。考えなくてよかったんですね」
それから彼女は耳まで赤くなって、両手で顔を覆ってしまいました。ごめんなさい、と小さく言いました。私は謝られる理由が本当にわからなかったので、ただ「床から来ましたよ」ともう一度言いました。彼女は顔を覆ったまま、うん、と言いました。
よりみちナビゲーターの対話
アキ:……久雄さん。これ、私が第一章で言いたかったことの答えを、久雄さんが自分で見つけて持ってきちゃったね。私、ちょっと悔しいくらい嬉しい。
サキ:冷めた天ぷらのところで、私も参りました。それは二人が同時に「いま大事なことが起きている」と気づいた合図ですよね。食べ物を忘れるって、こういう時にしか起きないんですよ。
ケンゴ:私は構造として、何が変わったのかを言っておきたい。久雄さんは「わかった」と言っていない。三割だと書いている。つまり理解度は上がっていない。変わったのは彼女の側の前提だ。「この人に伝わるのは、私の説明の精度による」という前提が、「この人はすでに、私と同じものに触れている」に書き換わった。だから確認が要らなくなった。上目遣いは前提が消えたとき、自然に消える。
アキ:ケンゴさんの言うとおりだと思う。ただ私はそこに、もう一つ足したい。久雄さんが持っていったのは「感想」じゃなくて「わからなさ」なんだよ。「床から来た」って、説明できてない言葉じゃん。説明できてない言葉を差し出したから、彼女は説明する側に安心して戻れた。上手にまとめて持っていったら、たぶんああはならなかった。
サキ:アキさんのその見方、私も同じです。それに彼女が赤くなったのは、恥ではあるけれど悪い恥ではないですよね。三年間の丁寧さが、少し余計だったと気づいた恥です。ああいう恥のあとは、人は楽になります。
ケンゴ:一点だけ、実務的な注意を残しておく。この日の状態が明日から常態になるとは思わないほうがいい。彼女は十年以上、削って話す訓練を積んできた人だ。癖は戻る。戻ったときに「あの日はどうしたんだろう」と責めないことだ。その瞬間を標準ではなく、参照点にしておけばいい。
アキ:それは、うん、ほんとにそう。でも久雄さんはもう手札を持ってるよ。彼女がまた下を向いたら、「床から来た」って言えばいい。合図として。
シオン:面白いものだ。三年、この方は理解を目指さずに座っていた。理解を目指さなかったからこそ、身体のほうが先に音楽へ届いた。届いた場所から言葉が生まれ、その言葉が相手の顎を上げさせた。順序が逆さまだったのだ。
アキ:わからないままでいたことが、無駄じゃなかったってことだよね。
シオン:わからないままでいるというのは、耐えることではなかったのだろう。開けておくことだったのかもしれない。
最後の羅針盤
アキから。 久雄さん、第一章で私は「悲しかった気持ちは消さなくていい」って書いた。今も同じだよ。三年の落差は本物だったし、あなたはちゃんと痛かった。でもね、その痛みを抱えたまま席に座り続けたから、《流浪の民》の一瞬が届いたんだと思う。わかろうとしていた人には、たぶん届かなかった。あなたは耳を空けて座っていた人だから。次に彼女がうつむいても、心配しなくていい。あなたはもう、あの日の顔を見てしまったから。
ケンゴから。 理解は伝達の条件ではないということが、この一件で実証された。以上が私の結論だ。ただし、実証されたのは一度だけだ。二度目は自然には来ない。来させたいなら、久雄さんはこれからも「わからない話」の席に座り続けることになる。それは楽な仕事ではない。だが、あなたはすでに三年やっている。適性がある。
サキから。 彼女が両手で顔を覆ったあの数秒を、大事にしてください。あれは彼女が三年ぶんの気遣いを下ろした音です。人が肩の荷を下ろす瞬間に、隣にいられる人はそう多くありません。あなたは蕎麦屋のその席にいた。それで十分だと思うんですよ。
シオンから。 音は、記されるより前にあった。あなたの胸が締まった一瞬も、言葉になるより前にあった。ならばあの時、二人が同時に触れていたものは、記譜法でも感想でもなくもっと古いものだったのではないだろうか。
アキ:久雄さん。天ぷら、また頼み直してね。




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