「赤いリボンの女の子」は誰のためのおしゃれ?――街角でふと立ち止まった、私の小さな疑問

第二章 四人の対話――リボンの奥にあるもの

あの夕方の光景が、頭から離れなかった。赤いリボンの女の子と、泥だらけの男の子。私は寝かしつけを終えたあと、台所の小さな灯りの下でもう一度、あの疑問を反芻していた。あれは誰のためのおしゃれだったのだろう。そしてなぜ私は、あんなにも気になってしまったのだろう。

アキ:「自分を表現する」って、こんなに早くから始まってるんだね

アキは相談者の疑問を聞いて、まっすぐに頷いた。

「それ、めちゃくちゃわかるよ。私もカフェで仕事してると、隣の席に座った親子連れの女の子が、自分のヘアピンを何度も触ってるのを見たりするんだよね。鏡があるわけでもないのに、指先で確かめてる。あれってたぶん『今日の私、ちゃんとしてる』っていう確認なんだと思う」

「大人がSNSにアップする前に自撮りを何枚も撮るのと、本質はそんなに変わらないかもしれないよね。自分の見え方を気にするって年齢関係なく、人が持ってる自然な感覚なんだと思うよ」

「だから、あの女の子のリボンが親の趣味かどうかって話の前に、子ども自身が『これをつけてる私』に何かを感じてるっていう前提は、たぶんあるんだよね。たとえそれが、最初は親に勧められたものだったとしても、つけているうちに自分のものになっていく感覚があるんじゃないかな」

ケンゴ:選択肢を用意するのは、いつだって先に生きている側だ

ケンゴは組んだ腕をほどき、ゆっくりと話し始めた。

「相談者の疑問は、突き詰めれば『誰がその選択を主導しているのか』という問いだろう。だが子育てというのは、本人が選択肢を自力で生み出せない時期から始まるものだ。最初は親が用意するしかない。そこは避けて通れない」

「俺にも娘がいる。今は中学生だが、幼い頃を振り返ると確かに服は、ほぼ妻が選んでいた。ただ、三歳を過ぎたあたりから『これは着ない』『こっちがいい』と主張するようになって、選択権が少しずつ本人に移っていった。そうやって選ぶ力は、段階的に育つものだと思う」

「だから、街で見かけた女の子が親の意向で着ているのか、本人の希望かを外から見分けるのは、正直なところ難しい。重要なのはその家庭の中で、本人の『これがいい』と『これは嫌』が尊重されているかどうかだ。それは外からは見えない部分だな」

サキ:子育ての現場では、もっと泥臭いやりとりが続いているんですよ

サキはケンゴの言葉に頷きながら、少し笑った。

「ケンゴさんのおっしゃる通り、現場ではもっと地味で、泥臭いやりとりが毎日続いているんですよね。たとえば、保育園に行く朝。本人が『プリンセスのドレスで行く!』と言い張って、母親が『それは結婚式用だから、今日は別の服にしようね』と説得する。そういう小さな攻防が、毎朝あるわけです」

「街で見かけるおしゃれな女の子の後ろには、たぶんそういう朝の格闘の歴史があって、その日たまたま親子の意向が一致した結果が目の前を歩いているんですよね。だから『親の意向』とも『本人の意思』とも言えるし、もっと言えば『今日の妥協点』なのかもしれません」

「男の子と女の子の差については、確かにあると感じます。ただ、それが生まれつきの性差なのか、周りの大人がかける言葉や与えるおもちゃ、見せる映像の積み重ねによるものなのかは、簡単には切り分けられないんですよね。『可愛いね』と言われて育つ子と、『かっこいいね』と言われて育つ子では、自然と意識する方向が違ってくる側面はあると思います」

シオン:装いとは、世界に対する小さな返事ではないだろうか

シオンは湯呑みの中の茶葉が沈んでいくのを見つめながら、静かに言葉を継ぐ。

「人が何かを身につけるとき、そこには世界に対する小さな返事のようなものがあるのかもしれない。今日の自分はこういう姿で世界に出ていく。そう決めることそのものが、すでに一つの意思表示なのではないだろうか」

「幼い子どもが赤いリボンを選ぶとき、その子は『可愛く見られたい』というより、『今日はこの色の気分だ』という、もっと素朴な感覚を表しているのかもしれない。それを大人が『おしゃれをしている』と解釈するとき、そこにはすでに大人の側のフィルターが一枚かかっているのではないだろうか」

「相談者が街角で立ち止まったのはもしかすると、その子の中にある純粋な何かに、ほんの一瞬触れたからかもしれない。そして自分の中にかつて似たような瞬間があったことを、思い出しかけたのかもしれない」

四人の言葉が、ひとつの場所に集まってくる

四人の話を並べてみると、それぞれの角度は違うのに、不思議と同じ場所を指していた。

子どもが装うことには、親の意向も本人の感覚も、社会から受け取った無数の情報も、すべてが混ざっている。そしてそれは、大人が装うときも実は同じなのだ。誰かに勧められた色、流行のシルエット、自分の気分、その日の天気。あらゆるものが混ざり合って、今日の私が出来上がっている。

街角で見かけた赤いリボンは、その小さな縮図だったのかもしれない。

第二章のまとめ:子どものおしゃれは、親の意向と本人の意思のせめぎ合いというより、家庭の中で日々続く小さなやりとりの「その日の着地点」です。そして、装うという行為そのものに、年齢を問わず「今日の自分を世界に差し出す」という意味が含まれています。街角の一瞬の光景に立ち止まれたことは、相談者自身の感性の細やかさの表れでもあります。

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