第二章 ――「結ぶ」という、もうひとつの神さまのかたち
寝込んだ三日目の朝、私はようやく粥を炊いた。土鍋のふたの隙間から白い湯気が立って、台所が少しだけ温んだ。米のとろりとした匂いを嗅ぎながら、私はまだあの薄い封筒のことを考えている。 ばちが当たった――その言葉だけが、頭の隅に貼りついて剥がれない。けれど一方で、心のどこかが小さく抵抗していた。あの手水鉢の冷たい水で手を清めたとき、私はたしかに清々しい気持ちだったのだ。
よりみちナビゲーターの対話
シオン 粥を炊けたのは、回復の兆しだ。よかった。──ところで、あなたは「ばちが当たった」を繰り返している。私が気になるのは、その言葉の出どころだ。あなたは本当に、心の底からそう信じているのだろうか。それともうまくいかなかった理由を、どこかに引き受けてもらいたいのだろうか。
サキ あ、それ分かる気がします。結果が出なかったとき、「自分の実力が足りなかった」って真正面から認めるのって、すごく痛いんですよね。だから「神さまの罰だ」って思うほうが、いっそ楽になれる瞬間ってあるんじゃないでしょうか。
ケンゴ その心理は理解できる。原因を外部に置けば、自分の努力が否定されずに済むからだ。だが私はあえて、別の見方を示したい。今回の不合格は罰でも運命でもない。半年勉強したという事実、そして前夜まで足を運ぶだけの真剣さがあったという事実――これは次に確実に活きる資産だ。封筒は薄くても、あなたの中身は薄くない。
サキ ケンゴさんのおっしゃること、温かいですね。ただ──、私はちょっとだけ立ち止まりたくて。「次に活きる」って言葉、正論なんですけど、今まさに熱を出して寝込んでいる人にすぐ前を向けと言っているようにも聞こえませんか。私はこの人が「悔しかった」ってちゃんと言える時間が、もう少しあっていいと思うんです。
ケンゴ ……たしかに、私は結論を急ぎすぎたかもしれない。悔しさを通り過ぎてからでないと、資産は資産として見えてこない。サキの言う「時間」を、私は軽んじていた。
シオン ご本人の話に戻る。日本の神々のあり方に、「結ぶ」という言葉がある。縁を結ぶ、注連縄(しめなわ)を結ぶ、おみくじを枝に結ぶ。神社とは本来、何かと何かを「結ぶ」場所であって、何かを「断ち、罰する」場所ではない。あなたが前夜に手を合わせたのは、明日の自分と今の自分を結ぼうとした行為だ。お礼参りに行ったのは、結果がどうあれ自分と神社との縁を結び直そうとした行為だ。
サキ 結ぶ……。寝込んでた三日間も粥を炊いたのも、断たれてなんかいなくて、ちゃんと続いてるってことですよね。
シオン 雨も、熱も、薄い封筒も、いずれ過ぎていく。だがあなたが半年かけて自分と結んだものは、過ぎていかない。罰は人を縮ませるが、縁は人を続けさせる。あなたの内側で起きていたのは、後者だったのではないか。
自分に問いかけるロードマップ
- 「ばちが当たった」と考えるとき、私はその裏で、ほんとうは何から目を逸らそうとしていたのだろうか。
- 半年間の勉強で、私の中に「結ばれた」ものは何だったろう。封筒の薄さでは測れないものを、ひとつ挙げられるか。
- もう一度あの手水鉢の前に立つとしたら、私は自分と何を「結び直し」たいだろうか。
本日の羅針盤
「罰」と「縁」は、神さまをめぐる正反対のまなざしだ。罰のまなざしはうまくいかなかった出来事を一本の鎖につなぎ、自分を縛りつける。縁のまなざしは、過ぎ去る出来事と過ぎ去らないものとを静かに分けてくれる。
あなたが寝込んだ三日間も、粥の湯気も、すべては断たれずに続いていた。試験の結果は出来事のひとつにすぎず、あなたという人間の総量ではない。半年走ってきた脚は、次の節目までちゃんとあなたを運んでいく。
ケンゴの言う「資産」も、サキの言う「悔しさを抱える時間」も、どちらも正しい。順番が違うだけだ。まず悔しがってよく、それから結ばれたものをゆっくり数えればいい。
シオンから最後にひとつ。次に神社へ行くならおみくじを引いて、その紙を枝に結んでみてほしい。叶えてもらうためではなく、自分とこの場所との縁をもう一度結ぶために。神さまはあなたを罰したことなど、一度もない。
長く続く体調不良や気分の落ち込みが抜けない場合は、医療機関や公的な相談窓口の利用をご検討ください。心と体は、頑張ったぶんだけ休む権利があります。




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