過去の不幸を縛る「呪い」の写真──10年目の真実と「あたたかい色」の理由

燃えていたのは、誰だったのか──一枚の写真を十年抱えた人へ

五十一になる女です。こんなことを人に訊くのはいい歳をして恥ずかしいのですが、どこにも持っていけないので書きます。

製本の工房で二十年ほど、糸で本を綴じる仕事をしてきました。数年前に親方が倒れ工房を畳み、転職先も撤退。さらに昨年はお腹に腫瘍が見つかり、今は古い借家で老猫と暮らしながら通院する日々です。結婚はしていません。

思い返してしまうのは十年ほど前の一月、当時いっしょになろうと話していた人と行った日本海側の岬のことです。
強い風と潮の香りのなか、父から譲られた古い二眼レフで、コートの襟を立てて笑う彼を何枚か撮りました。
二眼レフは縦に並んだ二つのレンズを持ち、上から覗き込むようにして撮るカメラです。一枚ずつ手で巻き上げるその重みと感覚が好きで、特別な思い出を残したくてわざわざ持っていったものでした。

ですが一ヶ月後、現像した写真を見て息が止まりました。灯台も海も枯れ草も綺麗に写っているのに、すべての写真で彼の胸から上だけが、まるで火に包まれたように橙色に溶けていたのです。彼は「よく撮れてるじゃないか」と笑いましたが、私は台所で手が震えました。

その春に彼の膠原病が分かり、入退院の末に二年ほどで別れました。不幸が重なるたび、どうしてもあの橙色の写真から何かが始まったような気がして振り払えません。あれはいったい、何だったのでしょうか。

よりみちナビゲーターの対話

シオン:十年、その写真を捨てずにいらした。捨てられなかった、というほうが近いのかもしれない。人は意味の分からないものだけを、こんなに長く手元に置くものなのだ。

サキ:台所で手が震えた、というところを何度も読みました。その瞬間、あなたはもう「これは良くないものだ」と身体で分かってしまったんですよね。頭で否定しても、手は覚えていますから。

ケンゴ:私は少し、別の場所から話をさせてもらう。フィルムに橙色や赤の被りが出る現象そのものは、珍しいものではない。裏蓋の遮光材の劣化、巻き取り時の光の漏れ、カメラ内部での反射、あるいは現像処理の温度。
とくに古い二眼レフは、遮光のためのモルトプレーンが数十年で崩れる。人物の上半身にだけ出たというのも、フィルムが平面ではなく、光の入り口との距離で濃淡が変わることを考えれば説明はつく。
順序の話をしたい。写真は病気の前に撮られたのではなく、病気の前に「撮ったことが分かった」だけだ。因果は、後から並べ替えられている。

サキ:ケンゴさんの言うことは、たぶん技術的に正しいと思います。ただ──それを聞いてこの方の夜が明けるでしょうか。私は明けないほうに賭けます。理屈で否定されたことは消えずに、ただ言葉にできない場所へ移るだけですから。あなたが十年抱えたのは光の物理ではなくて、「あの人が病んだとき、自分は何も止められなかった」という感覚のほうではありませんか。

ケンゴ:サキさんの見方も分かる。慰めにならないことを言っている自覚はある。ただ、私はこう考える。原因を写真に置いたままにすると、この方はこれから起きる出来事のすべてを、同じ物語の続きとして読んでしまう。それは長い目で見て、この方を守らない。仕事を失ったのも、病が見つかったのも、それぞれ別の理由と別の時間を持っている。そこを切り離せるかどうかは、これからの十年に関わることだ。

サキ:切り離す作業を、闘病中の人が一人でやれるかどうか、私はそこが心配なんです。通院して、食事を作って、猫の世話をして、それだけで一日は終わりますよね。

シオン:ところであなたは、「あの写真は何だったのか」問われた。私は答えを一つに絞る資格を持っていない。ただ、気づいたことがある。あなたの手紙の中でいちばん細かく書かれていたのは、炎ではなかった。風の強さ、潮の味、襟を立てて笑っていたあの人。橙色よりも先に、それが書かれている。

サキ:ほんとうですね。あの日のことを、細部まで覚えていらっしゃる。

シオン:写真はこれから起こることを告げるものではない。すでに起きたことが残る紙だ。その五、六枚に残っているのは寒い岬で、あなたが誰をいちばん長く見ていたかということ。燃えていたように見えたのは、あなたのレンズが彼のところだけ多く光を受け取ってしまったからかもしれない。そういう受け取り方を、人は「予兆」と呼び替えることがある。呼び替えなければ、抱えきれないから。

自分に問いかけるロードマップ

  • あの写真を「悪い知らせ」と決めたのは、いつでしたか。現像した日でしたか、それとも彼の病名を聞いた日でしたか。
  • もし写真が一枚も残っていなかったとしたら、あなたはこの十年の出来事をどんな順番で並べていたでしょうか。
  • 「私が撮ったから」という考えの裏に、「私が何かできたはずだ」という願いは混ざっていませんか。
  • 今日、写真の話をいちばんしたくない相手は誰で、いちばんしてもいい相手は誰でしょうか。

本日の羅針盤

ケンゴ:あれは光の事故だ。そして事故は、意味を持たない。持たないものに十年分の意味を預けてきたのなら、手放してもらっていい。

サキ:意味は生活で使う分だけ、持っていればいいと思います。全部捨てなくていい。ただ、明日の朝ごはんを作る手を止めるほどには持たないでください。

シオン:あの橙色を、警告と読むこともできる。事故と読むこともできる。私は記録と読む。冬の岬で、あなたが誰かを大切に見ていたことの記録。予兆は未来に向かうが、記録は過去に留まる。どちらとして扱うかを決められるのは、この十年を生きてきたあなただけではないだろうか。

なお、闘病中の不安が眠れなさや食欲に及んでいる場合は、遠慮なく主治医に伝えてください。通院先の相談窓口や地域の医療・生活相談の窓口に、こうした「言葉にしづらい不安」を扱ってくれる担当者が置かれていることもあります。専門機関への相談もご検討ください。

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