エピローグ/六枚目は、あちらにあった
三月の終わりに、葉書が届きました。彼の妹さんからでした。
一月に亡くなったと書いてありました。長い入院のあとだったそうです。私の住所を、彼が手帳に残していたと。十年、住まいは変わっていませんでした。
迷いましたが、四月に入ってから伺いました。線香の匂いとまだ片付いていない段ボールと、開け放した窓から入る風の冷たさを覚えています。妹さんが「兄は最後、痛みもなく眠るように」とおっしゃって、遺影の隣に置かれた写真を見せてくださいました。安らかな顔でした。私の知っている、目を細めて笑う癖のある顔のままでした。
それから居間へ通されて、私は動けなくなりました。
壁に、小さな額がひとつ掛かっていました。白い灯台の下に、私が立っていました。あの日です。同じ岬、同じ風、同じ午後です。私は彼を撮ることばかり考えていて、自分が撮られたことをすっかり忘れていました。
私の胸から肩にかけて、斜めに橙色が差していました。
妹さんが言いました。「これ、兄がずっと掛けてました。引っ越しのたびに、いちばん先に釘を打ってました」と。
十年、私は五枚を桐の箱にしまい、彼は六枚目を壁に掛けていたのです。
帰りのバスで、私はずっと窓の外を見ていました。家に着いて、猫に餌をやって、それから箱を開けました。五枚とも、記憶より薄い橙色でした。前にもそう思ったはずなのに、その日はもう不吉な色に見えませんでした。ただ、あたたかい色でした。夕方の、まだ日の残っている台所のような色でした。
あの写真は何だったのか。もう、答えを探さなくてもいい気がしています。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:六枚目、あったんですね。
シオン:ちゃんとあった。あなたの記憶は、間違っていなかった。
ケンゴ:それから、はっきりしたことがもう一つある。私は技術的な話を繰り返してきたが、ここで裏が取れた。あの額の写真は同じ日、同じ場所、同じカメラで撮られている。フィルムも同じ一本だろう。そして被写体が入れ替わっても、同じ位置に同じ橙色が出ている。これは撮った人の念でも、撮られた人の運命でもない。カメラの中で光が漏れていた、それだけだ。遮光材の劣化なら、フィルム面の決まった側に決まった角度で被る。斜めに差していたという証言とも合う。
サキ:ええ。合うと思います。ただケンゴさん、この方が救われたのは、たぶんそこではないんです。
ケンゴ:分かっている、と言いたいところだが、聞かせてほしい。
サキ:この方が動けなくなったのは、証拠を見つけたからではなくて、釘の話を聞いたからですよね。引っ越しのたびに、いちばん先に釘を打った。彼にとってあの橙色は、こわいものではまったくなかったということです。同じ一枚を十年、片方は箱にしまって恐れ、片方は壁に掛けて眺めていた。理屈が解けたのではなくて、読み方が二つあったと知ってしまった。私はそちらのほうが大きいと思います。
ケンゴ:……そのとおりだ。私は自分の担当した部分の始末をつけたかったのだと思う。機材の欠陥という結論は、私にとっては安心の形をしている。だがこの方にとっての安心は、別の場所にあった。認める。
サキ:ケンゴさんが十年分の理屈を引き受けてくださったから、この方は釘の話に集中できたんですよ。無駄ではありません。
シオン:私は第三章で、あれは預かり物だと言った。訂正する。預かり合っておられたのだ、と。
サキ:……ああ。
シオン:あなたは彼の冬を五枚。彼はあなたの冬を一枚。どちらも返さないまま十年、別々の場所で持っていた。あなたは仏壇の下に置き、彼は壁に掛けた。置き方は違うが、しまい込まなかったという点では同じだ。
シオン:そして、彼のほうが先に手放されました。手放したというより、置いていかれたのでしょう。あの額はいま、誰のものでもない場所に掛かっている。
ケンゴ:引き取ってもいいのではないか。妹さんに一言お願いすれば、断られる話ではないだろう。
サキ:私もそう思います。ただ、今すぐでなくてもいいですよね。この方は開けられる日が来るまで、十年待てた方ですから。
シオン:六枚が揃う日は、来るかもしれないし、来ないかもしれない。どちらでも構わないと私は思っている。大事なのはあの色がもう、「差された色」ではなくなったということだ。あなたは今日、あれをあたたかい色と呼ばれた。台所の、まだ日の残っている時間の色だと。
シオン:不吉と暖かさは、同じ波長でできている。分けているのはそれを見る人が、そのとき何を抱えているかだけなのかもしれない。
自分に問いかけるロードマップ
- 十年前、あなたが彼に六枚目を渡したときのことを、思い出せますか。渡した自分は、どんな気持ちだったでしょうか。
- あの額を引き取るとしたら、どこに掛けますか。掛けない選択をするなら、それはどんな理由からでしょうか。
- 橙色が暖色に見えた日を、あなたはこれからどう覚えておきたいですか。
本日の羅針盤
ケンゴ:私が三章かけて言おうとしたことは、六枚目が壁に掛かっていたという一つの事実に負けた。それでいい。理屈は、事実が出てくるまでの足場だ。足場は外していい。あなたはもうあの四つの点に線を引く必要がない。引きたくなる朝が来たら、灯台の下に立っていた自分を思い出せばいいと思う。
サキ:弔問から帰って、猫に餌をやって、それから箱を開けた。この順番が、私はとても好きです。生活を先に回してから、思い出に手を伸ばされた。これから、彼を悼む時間が本格的に来ると思います。悲しみは驚きが済んだあとに遅れて来るものですから。そのときも、どうか餌やりを先にしてください。あなたの生活が成り立っていれば、悲しみは通り過ぎていきます。
シオン:あなたは「あの写真は一体何だったのか」と、はじめに問われた。四度目の答えを出そう。
あれは二人が同じ午後に、互いを見ていたことの証しだ。あなたは彼を五枚撮り、彼はあなたを一枚撮った。同じ光が同じ角度で、両方に差した。それが橙色だった。差したのではなく、そこにあったと言うほうが近いかもしれない。
彼は十年、それを壁に掛けて暮らし、痛みなく眠るように逝かれた。あなたは十年、それを箱にしまって恐れ、いま暖色として見ておられる。同じ色を、二人で長く持ち続けた。
呪いは片方だけが持つものだ。二人で持てるものは、呪いとは呼ばない。
三章と後日談をお読みくださってありがとうございました。あなたの通院の朝が、少し軽くなりますように。




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