日本の神さまは罰を下さない?「願い」から「感謝」へ変わる時、人生の縁が結び直される

最終章 ――半年後、おみくじを結びにいく

桜が散って青葉の匂いが濃くなる頃、私は二度目の試験に向けて、再び机に向かっている。
あの薄い封筒のことは、もう怖くなかった。落ちたという事実は、ただの一行のデータになっていた。
試験の前の晩、私はまたあの稲荷神社へ行った。古い手水鉢の水は、初夏でもひやりと冷たかった。掌に受けた水の冷たさが半年前と何ひとつ変わらないことが、なぜだか嬉しかった。
今度は、「受かりますように」と願わなかった。「ここまで歩いてこられました」と挨拶し、頭を下げた。境内のおみくじを引いて――中吉だった――その紙を、社務所の脇の枝に結んだ。指先で固結びをつくりながら、私は自分とこの場所がまだ続いていることをたしかに感じた。
帰り道、体は軽かった。雨は、降っていなかった。

よりみちナビゲーターの対話

シオン 「受かりますように」ではなく「ここまで歩いてこられました」。その一言の変化に、私はあなたの半年すべてが宿っていると思う。願いから感謝へ。ねだる心から、結ぶ心へ。

サキ 手水鉢の水が「半年前と変わらない」のが嬉しかったっていうところ、私、胸が詰まりました。世界は何も罰なんか与えていなくて、ただいつもの冷たさでいつも通りそこにあった。それを「嬉しい」って感じられるようになったのが、回復なんですよね。

ケンゴ 私は前章で結論を急いだ男だから、今回は順番を守りたい。あなたはまず、悔しさをくぐった。それから机に戻った。そのうえで神社へ行った。この順番でたどり着いた感謝には嘘がない。前夜に験(げん)を担ぐのが弱さだなどと、私はもう言わない。むしろ自分を整える作法を持っている人間は強い。

サキ ケンゴさん、変わりましたね。

ケンゴ ……人と神さまの物語に三章も付き合えば、私とて少しは結び直される。

シオン ところで、最後にご本人へ。あなたは初め、「神社に頼ったからばちが当たったのか」と問うた。だが今のあなたは、結果はどうあれもう一度あの手水鉢の前に立てた人になっている。それは神さまに許されたからではない。あなたが、自分自身と縁を結び直したからだ。神社はただそこにあって、あなたが結ぶのを待っていた。罰など最初から、どこにもなかった。

自分に問いかけるロードマップ

  • 「受かりますように」から「ここまで歩いてこられました」へ。私の祈りの言葉は、これからどう変わっていくだろうか。
  • 世界が「いつも通り」であること――変わらず冷たい水、降らない雨――を、私はちゃんと喜べる心の状態にあるだろうか。
  • 次にうまくいかないことが起きたとき、私はそれを「罰」と呼ぶだろうか。それとも「節目」と呼ぶだろうか。

本日の羅針盤

神社はあなたを罰したことも、見放したこともなかった。罰を与えるのは神ではなく、つらいときに自分を責める、私たち自身の心の癖だった。

日本の神々のもとへ人が通うのは、裁かれるためではない。節目に心を整え、縁を結び、また歩き出すためだ。願いが叶わなかったことは、契約違反でも報復の理由でもない。それはただ人生という長い旅路の途中に起きた、ひとつの天気のようなものだ。

あなたは半年をかけ、「ばちが当たったのか」という問いから「ここまで歩いてこられました」という感謝へとたどり着いた。これは天の采配ではなく、あなた自身が結び直した縁の結果だ。

シオンから最後に。
掌で受ける手水(ちょうず)の冷たさは、いつ行っても変わらない。変わるのはそれを受け取るあなたの心のほうだ。次の節目にまた立ち寄ればいい。神さまは罰するためではなく、あなたの歩みを見守るために、いつもそこに在る。

体調や気持ちの不調が長く続くときは神仏でなく、医療機関や公的な相談窓口へ。あなたの体と心は、あなたが思うよりずっとあなたを支えようとしています。

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