産後1か月、赤ちゃんを可愛いと思えない。「ごめんね」から始まる朝を生きるあなたへ

第三章:夫が眠る隣の部屋と、私が一人で起きている部屋のあいだに

朝、六時半です。

夫が起きてきました。寝室のドアを静かに開けて、リビングに入ってきます。「お疲れさま、夜、何回起きた?」と聞いてくれます。私は「三回」と答えます。夫は「ありがとう」と言って、コーヒーメーカーのスイッチを入れます。

夫は本当に、よくやってくれていると思います。土日はミルクも沐浴も全部やってくれますし、平日も帰ってきたら必ず抱っこを代わってくれます。「無理しないで」「俺もやるから」と、何度も言ってくれます。義母も実母も週に何度か来てくれて、私を休ませようとしてくれます。

それなのに、です。

夫がコーヒーを淹れている背中を見ながら、ふとこんなことを思ってしまうんです。──「この人は夜中、三回起きていない」。

思った瞬間、自分にぞっとします。こんなことを思うなんて最低だと。夫は仕事をしてくれている。夫は協力的だ。夫は何も悪くない。なのになぜ私は感謝ではなく、こんな冷たいものを胸の底に感じてしまうのか。

夫が「今日、何時に出る?」と聞いてきます。私は「八時半」と答えます。「じゃあ、それまで俺、抱っこしとくよ」と夫は娘を抱き上げてくれます。優しい人です。本当に、優しい人と結婚したと思います。

思いながら私は台所で一人、洗い物をしています。蛇口から落ちる水の音が、やけに大きく聞こえます。

よりみちナビゲーターの対話

サキ:……この第三章、読みながら私は何度か手が止まりました。これはたぶん、世の中でいちばん言葉にされにくい感情の一つだと思うんです。「優しい夫を、それでも一瞬、冷たい目で見てしまった自分」。

アキ:うん。これ、めちゃくちゃリアル。私、結婚も出産もしてないけど、これは、かる気がする。「悪くない人」に対して湧いてしまう感情って、行き場がないんだよね。怒れる相手なら怒ればいい。でも相手が「悪くない」と、怒りが自分に返ってくる。

サキ:そうなんです。「夫は悪くない」「環境には恵まれている」──この方が最初の相談文に書いてくださった、あの言葉。あれは事実の確認であると同時に、「だから私は文句を言ってはいけない」という、ご自身への封じ込めでもあるんですよね。

アキ:「恵まれてるんだから感謝しなきゃ」って、自分に言い聞かせるやつね。あれ、本当にしんどい呪文だと思う。

サキ:私、これははっきり申し上げたいんです。──夫が悪くないことと自分の感情が冷たくなることは、両立します。

アキ:両立する。

サキ:両方、本当のことなんです。夫は優しい、これは事実。そして私は夜中に三回起きていて、夫は朝までぐっすり眠っている、これも事実。優しさで睡眠時間の差は埋まらないんですよ。体は感謝の気持ちでは回復しないんです。

アキ:……サキさん、いまちょっと、声に熱があったね。

サキ:……すみません。少し自分のことも混じったかもしれません。

アキ:いいよ、混ぜて。混ざってるほうが届く。

サキ:私、上の子のときにずっと、「夫はこんなにやってくれているのに、私はなんで満たされないんだろう」と思い続けていたんです。で、ある日、保健師さんに泣きながら相談したらこう言われたんです。「サキさん、それは夫さんへの不満じゃなくて、夫さんが眠れているという事実そのものへの、体からの抗議ですよ」と。

アキ:ああ……。

サキ:「あなたの人格が冷たいのではなくて、あなたの体がもう限界だと言っているんです」と。あのとき私、初めて自分の感情を責めずに済んだんです。「これは人格の問題じゃなくて、体の問題なんだ」とわかった瞬間に、肩から何かが落ちました。

シオン:……「悪くない人」と「つらい自分」が、同じ家の中に同時に存在している。これはとても、現代的な苦しみだと思う。

サキ:そうですね。

シオン:昔の物語であれば、夫がもっとわかりやすく非協力的で、姑が冷たく、貧しさが圧倒的で苦しみの輪郭がはっきりしていた。だから怒りも悲しみも、向ける先があった。けれどもいまは違う。夫は優しく家族は協力的で、家には暖房もありミルクもある。それなのに深い疲労と孤独が残る。──このとき人は自分の感情を「贅沢な不満」として、自分で罰してしまうのだ。

アキ:「恵まれてるのになんで」って、自分を二回殴る感じね。一回目は疲労、二回目は罪悪感。

シオン:そしていずれの傷も、本人にしか見えない。

サキ:──だからこそ私は、この方にお伝えしたいんです。夫への小さな冷たい一瞬を、人格の証拠にしないでほしい、と。それは体からのまっとうな信号です。

アキ:あとさ、私、ちょっと提案していい?

サキ:はい。

アキ:夫が「無理しないで」「俺もやるから」って言ってくれてる、これ、本当にありがたいんだけど、この優しさってたぶん「待ってる優しさ」なんだよね。サキさんが頼んだら動くっていう。でも、産後一か月の人に「頼む」エネルギー、もう残ってないんだよ。

サキ:……ええ。

アキ:だからもし夫さんに伝えられるなら、一個だけ提案したい。「夜中の授乳を、週に一回でいいから代わってほしい」って、具体的な数字でお願いしてみてほしい。「無理しないで」じゃなくて「水曜の夜はあなたが起きて」って。優しい人ほど具体的に頼まれたら、たぶんちゃんと動いてくれるから。

サキ:……それは私からも後押ししたいです。「感謝しなきゃ」と「お願いする」は、別のことです。お願いすることで感謝が減るわけじゃないんです。

シオン:「ありがとう」と「助けて」は、同じ口から同じ日に、何度でも出してよい言葉だ。どちらかを我慢する必要はない。

自分に問いかけるロードマップ

第三章を読みながら、ご自身にこんな問いを置いてみてください。

  • 「夫は悪くない」と自分に言い聞かせるとき、私は何を封じ込めようとしているのだろう。
  • 心から夫に怒っているのではなく、「夫が眠れているという事実」に体が抗議しているのだとしたら、その抗議をどう翻訳して伝えられるだろう。
  • 「無理しないで」と言われたとき、私はなぜ「大丈夫」と答えてしまうのだろう。「大丈夫じゃない」と返すことを誰に対して、なぜためらっているのだろう。
  • 今週、夫に一つだけ具体的な数字を示すとしたら、何をお願いするだろう。

本日の羅針盤

サキは、こう申し上げたいと思います。──「優しい夫を一瞬、冷たい目で見てしまった。そのことを人格の証拠にしないでください。それはあなたの体がちゃんと自分を守ろうとしている、まっとうな信号です。感謝とつらさは両立します。両方抱えていていいんです」。

アキは、こう付け加えます。──「『無理しないで』には、『水曜の夜、代わって』で返していい。優しさは具体的にお願いされたほうが、ちゃんと動ける優しさになる。頼ることは感謝を裏切ることじゃないよ」。

シオンは、静かに言葉を残します。──「『ありがとう』と『助けて』は、同じ口から同じ日に、何度でも出してよい言葉だ。どちらかを我慢する必要はない」。


改めて、専門機関のご案内:「夫に対して冷たい感情が湧いてしまう」「自分を責める思考が止まらない」といった状態が二週間以上続く場合、産後うつのサインである可能性もあります。一人で抱え込まず、産婦人科の一か月健診やお住まいの自治体の保健センター、産後ケア事業の窓口でご相談ください。「言葉にしづらい」と感じる場合は、この記事をそのままお見せいただいても構いません。

よりみちナビゲーター

人生の岐路で立ち止まったすべての人へ。答えを「断定」せず、あなた自身が納得できる「複数の選択肢」と「視点の切り替え方」を優しくお伝えする道案内チームです。

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