「もう会わない人」をふと思い出す日。偶然の数字に揺れる心の整え方

二十年前の自分に会いに行く——結び目の向こう側にいるのは、誰か

あれから何日か経った。対向車のナンバーはその後も時々、目に入ってくる気がする。けれど、最初の二日ほどの強さはもうない。気づいて、ああと思い、それから少しだけ間を置いて視線を前に戻す。そういうリズムが、自分の中にできはじめていた。

不思議だったのはあの人の顔そのものよりも、あの人と過ごしていた頃の自分の輪郭が、だんだん鮮明になってきたことだった。
二十代半ばの私は、何者でもなかった。会社に入って三年目くらいで、まだ自分が何に向いているのか分からず、夜遅くまで残業して、安いアパートの蛍光灯の下でコンビニのおにぎりを食べていた。
週末は誰かと会う約束を作らなければ落ち着かなかった。あの人と親しくしていたのも、たぶんそういう焦りの中にあったからだった。

二十年経って私は管理職になり、家庭を持ち、車のローンを払い、健康診断の数値を気にするようになった。けれど、あの頃の私はどこに行ったのだろう。たぶん消えたのではなく、たたまれてしまい込まれているだけだ。対向車のナンバーはそのしまい込まれた場所の扉のすぐ前を、通り過ぎただけのことなのかもしれない。

シオンは夕暮れの窓辺で、湯気の立つ茶碗を両手で包んでいた。それからこれまでで最も静かな声で語り始めた。

「人が過去の誰かを思い出すとき、思い出している『相手』というのは半分は記憶のなかの像であり、もう半分はその像を抱えていた頃の自分自身の影だと、私は思っている」

シオンは続ける。

「二十年前のあの人は、おそらくあなたの記憶のなかにしか存在しない。今の現実を生きている『あの人』とは、もう別の人だ。けれど二十年前のあなた自身は——その方は、今もあなたの中にいる。たたまれて、しまい込まれて、けれど消えてはいない。結び目の向こう側にいるのは、その『あの頃の自分』なのではないかと私は感じている」

サキが両手を、そっとテーブルの上に揃えた。

「私、第二章の終わりで『紙に書いてみる』ってお勧めしたんですけど、もう少し具体的に言うと——あの頃の自分に宛名を書いた手紙のつもりで書くのが、私はいいと思うんです」

サキは自分の言葉を確かめるように、ゆっくり続ける。

「『二十年前の私へ』って書き出して、その人がどんな服を着ていたか、どんな部屋に住んでいたか、何を食べていたか、何に焦っていたか、できるだけ具体的に書いていく。批評しない。励まさない。ただ見てきたものを書き並べる。それだけで、不思議と自分の中の結び目が少し緩むんです。ほどけるんじゃなくて、ただ、結び目の正体が見えてくるっていう感じで」

サキは少しだけ目を伏せ言葉を継いだ。

「私自身、産後にすごく追い詰められた時期があって、その頃の自分を思い出すたびに胸が苦しくなっていたんです。でもある日、ノートに『二十八歳の私へ』って書いて、当時の自分の一日を淡々と書いてみた。そうしたら——そのときの自分を責める気持ちが消えました。可哀想とも、頑張ったとも思わない。ただいたんだな、って」

ケンゴがここで少し身を乗り出す。

「サキさんの話を聞いていて思った。手紙を書くというのは確かにいい方法だ。ただ、私は男として——というより自分の経験から——一つだけ付け加えたい」

ケンゴは、湯呑みを置いて言った。

「過去の自分に手紙を書くと、人はどうしても『あの時こうしていれば』『あの判断は間違っていた』と採点を始めてしまう。これが厄介だ。採点が始まると手紙は反省文に変わり、反省文は後悔の温床になる。過去の自分は評価する対象ではなく、ねぎらう対象だと私は思っている」

ケンゴは続ける。

「ねぎらうというのは、褒めることでも慰めることでもない。『その時のお前はその時の情報とその時の体力で、その時にできることをやった』と、事実として認めることだ。それ以上でもそれ以下でもない。別れ方が良くなかったのも、当時のあなたが持っていた手札ではそれが精一杯だったからだろう。それを今のあなたの手札で裁いても、意味がない」

シオンは二人の言葉を、時間をかけ受け止めていたようだ。窓の外の薄闇に目をやって、低く言う。

「サキさんの『見てきたものを書き並べる』も、ケンゴさんの『評価ではなくねぎらう』も、どちらも過去の自分との正しい距離の取り方を教えていると思う。──そのうえで、私は最後にひとつだけ申し上げたい」

シオンの声はこれまでで、最も穏やかだった。

「二十年という歳月は長いようでいて、ひとつの人生のなかのひとつの章にすぎない。あの頃のあなたと今のあなたは、別人のようでいて同じ一本の糸でつながっている。結び目は糸の切れ目ではなく、糸が一度ねじれて、また続いていく場所のことだ。ねじれたまま続いている糸を、無理にまっすぐする必要はない。ねじれはその人がそこを通ったという、確かな印だから」

シオンは続ける。

「対向車のナンバーが何度すれ違っても、あなたはもう慌てなくていい。それはあなたの糸のねじれた場所を誰かが指でそっと触れたようなもの、それだけのことだ。触れられたことに気づけたのなら十分だ。あとはねじれを抱えたまま、明日の道を運転していけばいい」

三章を通じて、残しておきたい問いと所作

三回にわたって対向車のナンバーから始まった一つの不思議を、三人の視座で眺めてきました。最後にこれからの日々のために、残しておきたい問いと所作をまとめます。

  • 問い:あの頃の自分は今、何と言ってほしいだろうか。慰めの言葉ではなく、ただ「いたね」と認めてくれる言葉ではないだろうか。
  • 所作(サキ):「二十年前の私へ」と宛名を書いた手紙を、批評せず、励まさず、ただ書き並べる。書いた紙はしまっても捨てても、どちらでもいい。
  • 所作(ケンゴ):採点を始めそうになったら手を止める。「その時のお前は、その時にできることをやった」と、声に出さず心の中で言う。
  • 所作(シオン):対向車のナンバーがまた目に入ったら、慌てず、止めず、ただ「触れられたな」と感じて、視線を前に戻す。

三章全体の結び——「不思議」を、生きる力に変える

あなたが見た対向車のナンバーは、偶然だったかもしれません。脳が一致を探しに行った結果だったかもしれません。あるいは説明のつかない、何かだったかもしれません。
どれが正解かを決めることに、あまり意味はありません。意味があるのはその出来事をきっかけとして、あなたが自分の内側に二十年ぶりに目を向けたという事実のほうです。

会わないほうがいい人には、もう会わなくていい。けれど、会わずにしまい込んできた「あの頃の自分」には、今からでも会いに行けます。会いに行く道具は、紙とペンで十分です。会いに行く時間は、今夜三十分もあれば十分です。会いに行ったときに必要なのは評価ではなく、ねぎらいだけです。

結び目はねじれたまま、これからも糸の途中にあり続けます。けれどねじれを認めて触れた手は、もう慌てない手になります。対向車のナンバーが明日また何かを告げにきたとしても、あなたはきっと前を向いたまま、静かに受け取れるはずです。

三章にわたるおつきあい、ありがとうございました。あなたの日々の運転がこれからも穏やかでありますように。

※過去の記憶や感情が、ご自身の力では扱いきれないと感じたときは、信頼できるカウンセラーや心療内科など専門家の手を借りることもためらわないでください。一人で抱え続けることは、強さの証ではありません。

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