最終章──夕方の台所に、持って帰れるもの
プロローグ
夕方の台所には、いつも音がある。炊飯器の蒸気、洗濯機のすすぎ、テレビのアニメ、床に転がるブロック。そしてその音の中心に、私が立っている。
私は感情をコントロールする方法を知りたかった。怒鳴らない母親になりたかった。ニュースで虐待の話が流れるたびに、自分との距離をはかって不安になっていた。
けれどいま、四人の話を聞き終えて、台所の音が少しだけ違って聞こえる。何が変わったのかはまだうまく言えない。ただ、五分間洗面所で深呼吸をして戻ってくる、そのときの自分を前ほど責めなくてよさそうな気がしている。
三章を貫いていた、一本の糸
サキ: 第一章で私たちは、「あなたはすでにぎりぎりのところでコントロールできています」とお伝えしました。
第二章では「恐れは消すべきものではなく、鳴らしたまま暮らすものです」と。
第三章では「期待・指示・叱責を分けて持ってください」と、家の中の運用の話に降りていきました。
別々のことを話しているように見えて、実はひとつのことを違う角度から繰り返していただけなんです。それは──「あなたの中のすでに働いているものを、見えるようにしましょう」ということ。
ケンゴ: 同感だ。多くの人は悩みを抱えるとき、「足りないもの」を探しに行く。コントロールが足りない、忍耐が足りない、愛情の表現が足りない、と。だが、相談文を最初に読んだ時点で私が思ったのは逆だった。この方は足りないのではない。すでに持っているものが見えなくなっているだけだ、と。
アキ: うん。別室に逃げて深呼吸するっていうのも、ニュース見て怖くなるっていうのも、夫に話そうとしてやめるっていうのも、全部「機能が働いてる」証拠なんだよね。だけど本人の頭の中では「私はダメだ」っていう一行に、全部上書きされちゃってる。
サキ: ええ。最終章で私たちがしたいのは新しい何かを足すことではなくて、すでにあるものに輪郭を描き直すことなんです。
明日の夕方、持って帰っていただきたい三つのこと
サキ: これまでの三章から、明日の台所に持って帰れる形に絞って三つだけ、お渡しします。
一つ目。「やれている自分」を、夜の数分で書き留めてください。
寝かしつけのあと、ノートでもスマホのメモでも構いません。「今日、別室に逃げた。一回」「夫に、一言だけ言えた」「下の子の発達相談、来月の予約を入れた」──そういう、小さな動きを書き留める。失敗の記憶ばかりが残るのは、脳の仕組みです。意識的に拾わないと、努力は本人にも見えません。
アキ: これね、習慣にしちゃうとマジで効くやつだよ。一週間続けると、自分の中の「やれてるリスト」が可視化される。可視化されると、自分のことを「ダメな母親」って一行で片付けられなくなる。
サキ: 二つ目。月に一度、評価をしない他人と短く話す場を持ってください。
保健センター、子育て世代包括支援センター、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」──どこでも構いません。「相談する内容がない」状態で、「最近、夕方がしんどいです」だけでいい。これは警報の音量を、家の外に一度預ける作業です。家族には話せないことを話す場ではなく、家族に話す前に自分の中で輪郭を作る場として使ってみてください。
ケンゴ: これは、危機管理の基本でもある。緊急時に初めて連絡するのではなく、平時から繋がっておく。それだけでいざというときの心理的なハードルが、桁違いに下がる。
サキ: 三つ目。声を荒げてしまった日は、戻ってきてください。
「さっき、強く言いすぎてごめんね。ママ、疲れていた」──このひと言を、お子さんの目を見て言える親であれば、それで十分です。完璧な親を目指さないでください。立て直せる親であれば、それで足ります。
二人のお子さんと、ご自身のこと
アキ: あとさ、最後にひとつだけ本人に言っておきたいことがあって。
上のお子さんは、療育に通ってる。下のお子さんは経過観察中。それを「同時に、一人で見ている」状態のお母さんって、客観的に見てめちゃくちゃ重い荷物を背負ってるんだよ。それを自分の中で「普通のこと」にしないでほしいんだ。
「みんなやってる」、じゃない。あなたは人より明らかに重い荷物を背負っている。それを認めた上で、自分に対する評価の基準を少しゆるめてください。「普通の母親基準」で自分を採点するのは、フェアじゃない。
ケンゴ: その通りだ。私はこれまで構造の話を多くしてきたが、最後にひとつ長期の話をさせてほしい。
お子さんたちの発達は、これから何年もかけて少しずつ変わっていく。その並走者として、お母さんが「途中で倒れない」ことが何よりの長期戦略になる。だからご自身をいたわることは、お子さんへの愛情と矛盾しない。むしろ同じことの別の表現だ。
サキ: ええ。お母さんがご自身を大切にすることと、お子さんを大切にすることは、別々の項目ではないんです。同じ一つのことの表と裏なんです。
シオンからの、最後のひと言
シオン: ……ここまでの話を聞きながら、私はずっと夕方の台所の光景を思っていた。
炊飯器の蒸気、洗濯機の音、子どもたちの声、そしてその中心に立つあなた。あなたは自分のことを、その音の中で「壊れそうになっている人」として見ているかもしれない。
けれど私には、違うふうに見える。あなたはその音の中心で、二人の小さな人の時間を、毎日抱えて立っている人だ。抱えていなければ、夕方の台所に立つこともない。
声を荒げてしまった瞬間も、深呼吸して戻ってきた瞬間も、ニュースを見て胸が冷たくなった瞬間も──そのすべてがあなたが「抱えている」ことの、別々の現れにすぎないのではないだろうか。
抱えている人は、抱えていることになかなか気づけない。だからときどき、こうして外の声に、「あなたはもう十分、抱えている」と言ってもらってほしい。
本日の結論──ひとつだけ、残します
これまで各章で、結論を一本化しない方針でお伝えしてきました。最終章だけはひとつだけ、残します。
あなたは感情をコントロールできない母親ではありません。重い荷物を一人で抱えながら、それでも毎日、立て直し続けている人です。
明日の夕方、また同じ台所に立って五回目で声が低くなったとしても、それはあなたが壊れている証拠ではありません。それは過積載の中で、それでもなお機能している証拠です。
戻ってこられる親であってください。完璧な親でなくて、構いません。
そしてご自身を見失いそうな夜には、保健センター、子育て世代包括支援センター、児童相談所虐待対応ダイヤル「189」──いずれも保護者ご本人からの「しんどい」を受け止める場所として開かれています。一人で抱えないことが、お子さんへの最大の愛情の形になる日もきっとあります。
夕方の台所の音の中で、どうかご自身に少しだけ、優しい母親でいてください。



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