涙腺というやっかいな才能 ―― 最終章:涸れない泉のほとりで
修理台の前の、五十九年
最後に、この方の日常の一場面を想像してみたいと思います。
夕方の工房。窓から差し込む光がだんだん赤みを帯びて、作業台の上の小さな歯車を照らしている。ラジオから流れる、いつかどこかで聴いた古い歌謡曲。その間奏、ヴァイオリンかオーボエか、名前も知らない旋律がふっと立ち上がった瞬間、老眼鏡の奥で目頭が熱くなる。手を止めて、しばらくそのままでいる。誰も見ていない。誰にも説明できない。ただ、涙が出る。
アキ:私、この場面がずっと頭から離れないんだよね。誰も見てないのに泣くって、これがいちばん本物だと思う。人に見せるための涙じゃない。自分の心と、旋律と、一人きりの時間。──こんな贅沢な時間、なかなかないよ。
ケンゴ:私は長い間、感情を人前で見せることを敗北のように思ってきた。氷河期の職場では、それが生存戦略でもあった。だが、この方の工房の場面を読んで、少し考えを改めた。誰にも見せず、自分のためだけに泣ける時間を持っている。それは戦略でも弱さでもなく──ひとつの成熟した豊かさなのかもしれない。私にはまだ、できないことだ。
アキ:ケンゴさんが「まだできない」って言うの、正直でいいね。
ケンゴ:この歳になると、正直でいるくらいしか若い者に見せられるものがない。
妻を見送った人の涙
第二章では触れませんでしたが、この方は五年前に妻を亡くしています。これだけ涙もろい人が、最愛の人を見送ったとき、どれほどの涙を流したでしょうか。
シオン:私は、あえてその涙の量を想像しない。ただ、ひとつ思うことがある。これほど涙もろい人が、それでも五年間、工房を畳まずに続けてきた。時計を直し続けてきた。それは涙もろさと生きていく強さが、この方の中で少しも矛盾していないということだ。
アキ:……矛盾してない、か。
シオン:泣くから弱い、というのは外から貼られた札にすぎない。この方はたくさん泣きながら、たくさんの時計を直し、妻を見送り、孫を迎え、六十二年を生き抜いてきた。涙は生きる力を削らなかった。むしろ削られそうになるたびに、涙が心を洗い流してきたのではないだろうか。
ケンゴ:涙が心の錆止めになっていた、と。
シオン:ケンゴのその言い方は、この方らしくて良いと思う。時計職人の心に、涙という錆止めが差されている。だから五十九年、正確に時を刻み続けられた。
最後に、この方へ
アキ:ねえ、私から最後に言わせて。あなたの「問題ないでしょうか」に、私、はっきり答えるね。問題ないどころか、あなたのその涙は私が今まで聞いた中でいちばん優しい才能だよ。直さないで。抜かないで。そのまま還暦のずっと先まで、泣ける人でいて。それがきっと、あなたを慕う人たちにとっていちばんの贈り物だから。
ケンゴ:私からは、ひとつだけ。もし今後、その涙が悲しみのほうへ深く傾く日が来たら――たとえば眠れない夜が続いたり、工房に立つ気力が湧かない日が重なったりしたら、そのときは我慢せず誰かに、あるいは専門の窓口に声を届けてほしい。涙もろさは才能だが、心の疲れのサインもまた、涙の顔をして現れることがある。両方を見分ける必要はない。ただ、しんどい日には遠慮なく手を伸ばしてくれ。それだけだ。
シオン:私からは、言葉を贈らない。ただ、あなたが次に工房で涙を流すとき、その涙の向こうに砂利道で手を振る祖母と、荷台に揺られた幼い日のあなたがいることを、思い出してくれたらいい。あなたはずっと、同じ人だ。何も変わらなくていい。
自分に問いかけるロードマップ(最終章)
- 誰にも見せずに泣いた時間を「贅沢な時間」と呼び直してみたら、心はどう感じるだろうか。
- 涙もろさと、五十九年を生き抜いてきた強さ。この二つは、本当に別々のものだろうか。
- 次に涙が出たとき、「また泣いてしまった」ではなく、「まだ泣ける」と言い換えてみたらどうだろうか。
本日の羅針盤(総括)
三章にわたって、私たちはひとりの時計職人の涙をめぐって語り合ってきました。
アキは涙を「いちばん優しい才能」と呼び、そのままでいてほしいと願いました。
ケンゴは感情を隠すことを生存戦略としてきた立場から、誰にも見せずに泣ける豊かさに敬意を示し、同時に、心の疲れのサインには手を伸ばしてほしいと添えました。
シオンは涙もろさと生きる強さは矛盾しない、あなたはずっと同じ人だと結びました。
三人の視座は、最後にひとつの地点で重なります。あなたの涙は、直すものでも恥じるものでもありません。それは五十九年間、あなたの心を錆びさせず正確に時を刻ませてきた、静かな泉です。
「男が泣くこと」への私たちの答えはこうです。──泣ける男は心の歯車を、いちばん丁寧に扱える人だ。
どうか、その泉を涸らさないでください。あなたが涙を流すたびに、この世界には忘れられない瞬間がひとつ、また刻まれていくのですから。
なお、涙もろさそのものは案じるべき気質ではありませんが、悲しみが長く続く、日常が立ち行かなくなるといった状態が重なるときは、ひとりで抱えず専門機関への相談もご検討ください。あなたの涙がこれからもずっと「才能の側の涙」であり続けますように。




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