翌年の柿は、思ったより渋かった
一年たちました。柿は母が言ったとおり、残してありました。十一月の日曜、娘が父に肩車をされて、届く高さの実をひとつ取りました。剥いて食べたら、渋かったんです。娘が顔をしかめて、父が笑って、母が「甘くなるのは来月よ」と言いました。庭の土は湿っていて、剥いた皮からうすい甘い匂いがしていました。
あの日以来、私は父に何も言っていません。父も何も言いません。ただ、去年の夏あたりから父の携帯が食卓に置かれっぱなしになりました。ベランダの電話もなくなりました。終わったのか、隠す場所を変えただけなのか、私には分かりません。確かめる気もなくなりました。
実家に行く回数は、月に一回のままです。減らしたことを、私はもう「逃げた」と呼んでいません。「一回で足りる」と呼んでいます。行った日の夜も、翌朝の起床も、去年より軽くなりました。
母には言いませんでした。この一年、何度か言ってしまいそうな場面がありました。柿の木の前で、母が父の湯呑みを洗っているのを見たとき。それでも言いませんでした。今もこれが正しかったのかは分かりません。ただ、間違っていたとも思っていません。
娘には去年の冬、一度だけ言いました。「お母さんは、あなたに嘘をつかない人でいたい」と。約束の形にはしませんでした。娘は「うん」と言って、それだけでした。覚えてもいないと思います。
父を尊敬することは、たぶんもうありません。でも肩車をしている父の背中を、私は普通に見ていられました。それが去年との違いです。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:渋かったというところで、私は少し笑ってしまいました。一年待った柿が渋いのは、物語としてはうまくないですよね。でも、生活とはそういうものですし、あなたはそれをそのまま書いてこられた。去年のあなたなら、この渋さを何かの象徴にしてしまっていたと思うんですね。今年はただ渋かったと書いている。ここに一年分の形が出ています。
ケンゴ:私が確認したいのは稼働率のほうだ。月一回で、翌朝が軽くなった。これは主観ではなく変化として読める。ただひとつ、注意を残しておきたい。負荷が下がった時期に、人は引き受けを増やしてしまう。父親の携帯が食卓に置かれるようになったのを見て、あなたはこれから「もう終わったのだから、回数を戻してもいいのではないか」と考える可能性がある。私はそれを勧めない。今の均衡は、回数を減らしたことで成立している。
サキ:ケンゴさんの言うことも分かります。ただ──「戻すな」と決めてしまうのも一種の縛りですよね。この方はもう、去年より自分を読める人になっています。行った日の夜と翌朝で自分を測る目を、この一年で身につけられた。だったらそのつど、測って決めればいいんです。回数の上限を先に決めておくことは、その目を使わせないことになってしまいます。
ケンゴ:それは私の言い方が硬かった。禁じたいのではない。私が警戒しているのは増やすときの理由が「安心したから」になる場合だ。安心は判断の材料としては弱い。増やすなら、翌朝の状態を三回続けて確認したうえで、という条件をつけたい。それだけだ。
サキ:ええ、条件つきなら私も同じです。むしろその条件を、この方はもう自分で運用されていますよね。去年、記録は自分を管理するためではなく、自分に許可を出すためのものだと申し上げました。「一回で足りる」という呼び方に変わったのが、その許可が出た証拠だと思います。
ケンゴ:ひとつ付け加える。父親の行動が変わったことについて、あなたは確かめる気がなくなったと書いている。私はこれを諦めではなく、判断として評価する。真偽を確かめれば、次はそれをどう扱うかという問題が発生する。確かめないことで、あなたは問題の発生自体を止めている。合理的だ。
シオン:私が長く考えていたのは、あなたが娘に渡した一文のことだ。あなたは「嘘をつかない人でいたい」と言い、娘は「うん」と言って、それだけで終わった。覚えてもいないだろうとあなたは書いている。しかし、そのひと言は娘のため言われたものだっただろうか。折れた誓いを見てしまった人が、それでも何かを口にする。その瞬間に立ち直ったのは、たぶんあなたのほうだ。誓いは聞いた者よりも、立てた者を変えることがある。娘が覚えていないのは、少しも問題ではない。
サキ:そうですね。渡したつもりのものが実は自分に残っていた。そういうことは、育てている者にはよくあります。
シオン:柿は来月甘くなると、母は言った。あなたはその言葉をもう一度聞くために、来月もあの家に行くだろう。それでいい。
自分に問いかけるロードマップ
- あなたは今、実家での自分を「知ってしまった人」として数えているか。それとも、ただの娘として数えられる時間が増えたか。
- 父の携帯が食卓に置かれるようになったことを、あなたは何と読んでいるか。読まないままにしておくという選択を、自分に許せているか。
- 母に言わなかったこの一年を、あなたは正しかったとも間違っていたとも決めていない。決めないままにしておくことに、耐えられているか。耐えているのか、それとももう気にならなくなったのか。
- 来年の柿の季節に、あなたはこの一年を何と呼ぶだろうか。呼び方を今のうちに決めなくていい。
本日の羅針盤(連載の結び)
サキの立場から。この一年であなたが手に入れたのは、解決ではなく呼び方です。「逃げた」を「一回で足りる」に言い換えられたこと、渋い柿を象徴にしないで済んだこと。そのふたつがあなたの生活を守っています。これからも疲れたときは、呼び方が先に荒れます。そのときは行動を変える前に、まず自分がどんな言葉で自分を呼んでいるかを見てください。
ケンゴの立場から。均衡は維持されている。維持できている理由はあなたが距離を調整し、真偽の確認をやめ、説明をしなかったことにある。この三つは今後も有効だ。増やすとき、減らすときは、翌朝の状態を三回続けて確認してから決めればいい。感情ではなく状態で判断する習慣を、あなたはすでに持っている。
シオンの立場から。あなたは折れた誓いの前で、自分の誓いを口にした人だ。それは父の失敗を上書きするためではなく、あなたが立っていられるようにするためだった。人は他人の折れた場所を見てしまったあと、しばらく世界を薄く感じる。あなたはその薄さを、一年かけて通り過ぎた。柿が渋かったことを、渋かったとだけ書ける人になった。
三人の言葉のうち、どれを持ち帰ってもかまいません。持ち帰らなくてもかまいません。あなたはもう、自分の目で翌朝を測れる人です。
なお、状況が落ち着いたあとに、遅れて疲れが出ることもあります。眠りが浅い、実家の話題で胸が詰まる、休日に体が動かない。そうした状態が二週間以上続く場合は、自治体の家族相談窓口や公認心理師によるカウンセリングなど、専門機関への相談もご検討ください。




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