もう待たない。未婚の妊娠から「子どもの権利」を守る母になるロードマップ

あの人の「いつか」を待たずに、私はもう歩き出していた

港町の小さな印刷工場で働いていた私が、その紙の束を手に取ったのは肌寒くなり始めた頃でした。三十二歳。経理事務の派遣として勤めて二年、ようやく仕事の段取りが体に馴染んできた矢先のことです。

妊娠が分かったとき、最初に頭をよぎったのは喜びでも不安でもなく、ただ静かな現実でした。お付き合いしている人は、地方で家業の運送会社を継ごうとしている最中。私は私で、いつか自分の小さな店を持ちたいと、夜は製菓の通信講座を続けていました。お互い、まだそんな段階じゃなかった。結婚なんて、二人の会話に一度も上ったことがなかったんです。

彼に伝えた夜、電話の向こうに長い沈黙がありました。「燃料代も上がって、会社をどう立て直すかで頭がいっぱいなんだ。こんな足場のない時に子どもを迎えるなんて、その子に申し訳が立たない」。何度話しても、彼の言葉は同じ場所をぐるぐると回るだけでした。

それでも私は、産むことを選びました。理屈じゃなく、私の中で決まっていたんです。せめて子どもの戸籍に父親の名前をと頼んでも、「今はこれ以上背負えない。親にもまだ言えていない」と。落ち着いたら結婚すると言われました。けれど、その「落ち着いたら」はいつなのか。

幸い、先月ようやく簿記の上の級に受かりました。経験はまだ浅いけれど、働き口を探す足がかりにはなる。両親は一人で育てることを認めてくれて、今は生まれてくる日を楽しみにしてくれています。それだけで、どれほど救われているか。

ただ、夜になると不安が薄い膜のように肌に張りつくんです。母になるなら強くならなきゃと自分に言い聞かせながら、その強さがどこにあるのか、まだ見つけられずにいます。


よりみちナビゲーターの対話

サキ:読ませていただきました。まず、これだけのことを一人で抱えながら、ちゃんと文章にして言葉にできているということ。それ自体がすでにあなたの強さですよね。「強くならなきゃ」って書いていらっしゃるけれど、私はね、今のあなたが弱いとは少しも思わないんです。

アキ:わかるよ、それ。私もこれ読んでて、「強くならなきゃ」っていう一行で胸が痛くなったもん。あのね、強くなろうとしなくていいんだよ。夜になると不安が肌に張りつくって書いてるでしょ。その感覚、ちゃんと感じてあげていい。妊娠初期って、体がホルモンで勝手にぐらぐらする時期だから。心が弱いんじゃなくて、体が必死なんだよ。

ケンゴ:二人の言葉に異論はない。気持ちを認めることは大切だ。ただ、私はあえて違う側から話したい。あなたが今いちばん必要としているのは、慰めよりも「次に何をするか」の見取り図ではないかと思う。

サキ:……ケンゴさんの言うことも分かります。手続きの話は確かに避けられない。ただ──私は順番が逆だと思うんです。先に体と心の足場を整えないと、書類の話なんて頭に入ってこない。今この方、毎晩眠れているかどうかも分からないんですよ。

ケンゴ:その指摘は受け止める。だが、不安の正体の半分は「分からないこと」だ。認知や養育費が法律上どう動くのかを知らないまま夜を迎えるから、膜のように張りつくのではないか。私は数字で言いたい。認知は彼の同意がなくても、出産後に「認知調停」という手段がある。父子関係が法的に認められれば、養育費の請求権も発生する。これは「知っているだけ」で、夜の不安が一段軽くなる種類の情報だと思う。

アキ:……それはちょっとわかるかも。ケンゴさん、めずらしく優しいこと言うじゃん。

ケンゴ:私はいつも優しいつもりだが。

サキ:(笑)そうですね。「知らないから怖い」というのは、生活の中でも本当にそうなんです。私も子どもが熱を出したとき、夜間どこへ電話すればいいか調べてあるだけで、心持ちがまるで違いました。知識はお守りになる。その点は、ケンゴさんに一票です。

アキ:じゃあさ、彼のことはどうする? 「いつか結婚する」って言葉、私はね、正直あんまり当てにしない方がいいと思ってる。期待して待つ時間が、いちばんあなたをすり減らすから。

サキ:ところで──ご本人の話に戻りますね。私が気になったのは、あなたが彼を責める言葉を一度も書いていないことなんです。「本心なのか分からない」と書きながら、彼を悪者にしていない。それはあなたの誠実さだけれど、もしかすると彼の「いつか」に、まだ心のどこかが繋がれているのかもしれませんね。

ケンゴ:そこは切り分けた方がいい。彼への感情と子どもの権利は、別の話だ。認知も養育費も、彼の善意を待つものではなく、子どもが本来持っている権利だ。あなたが請求するのは「お願い」ではなく、子の代理として当然のことをしているにすぎない。

自分に問いかけるロードマップ

  • 私が今、眠れなくなる「分からないこと」の要因は、具体的にどれだろう。お金のことか、彼の気持ちか、それとも生まれてからの生活そのものか。
  • 彼の「いつか結婚する」という言葉を、私は本当はどう扱いたいのだろう。待ちたいのか、それとも一度、自分の中で区切りをつけたいのか。
  • 認知や養育費を「彼へのお願い」と感じている自分はいないだろうか。それを子どもの権利と言い換えたとき、私の気持ちは少し軽くなるだろうか。
  • 「強い母にならなきゃ」と思うとき、その強さは誰のためのものだろう。本当は誰かに弱音を吐ける場所こそ、必要なのではないか。

本日の羅針盤

サキの視点から言えば、あなたはまず強くなる前に、「整える」段階にいます。睡眠、食事、両親という心強い味方──この足場を確かめることが、何よりの出発点です。母になるための強さは後から少しずつ体に宿っていくもので、今この瞬間に完成させる必要はありません。

ケンゴの視点では、不安の輪郭を「情報」で削っていくことが有効です。認知や養育費は彼の意思に左右されない、子ども自身の権利として動かせます。一度、自治体の窓口や法テラスのような無料相談で手続きの全体像を聞いてみる。それだけで、夜の膜は確実に薄くなります。

アキの視点では、彼の「いつか」を当てにせず、今日の自分を救うことが先決です。期待して待つ時間が、あなたをいちばん削るからです。

三つの声はどれも別々の方向を指しているようで、実は同じ場所に向かっています。あなたはもう、いちばん難しい決断をくぐり抜けた人です。これから必要なのは新しい力ではなく、すでに持っているものを一つずつ確かめる作業なのです。

なお、妊娠中の心身の負担が大きいと感じられるときは、産婦人科や自治体の母子保健窓口、また気持ちの面では公的な相談窓口など、専門機関への相談もご検討ください。一人で抱え込まないことが、あなたとお腹の子の両方を守ることに繋がります。

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