打つか、打たないか、の手前で立ちすくむ夜に
私は瀬戸内の港町で、二歳半の息子とともに暮らしている四十代はじめの母親です。パートで総菜屋の厨房に立ち、夕方に息子を保育所へ迎えに行き、夜は台所で翌日の下ごしらえをしながら、頭の隅でずっと同じことを考えています。息子のワクチンのこと。去年からずっと、胸のあたりに小さな石を抱えている感覚があります。
きっかけはこの数年で、医療や行政の言うことをそのまま信じられなくなったことでした。妊娠中から育児の合間を縫って、副反応の重篤な事例や接種本数の多さを問題視する本を何冊も読みました。著者の話を聞きに、隣の県のホールまで足を運んだこともあります。年々重篤な副反応が増えているという話と注射の本数の多さが、どこか線でつながっているのではないか。そう思うと、この子には打たせられないと決めました。
よそはよそ、うちはうち。誰かを巻き込む気もなく、自分が少数派なのは承知の上でそう決めていたのです。ママ友にも、あえて言わずにおこうと思っていました。
けれど、去年の秋の健診で流れが変わりました。接種欄が空白なのを見た医師の目つきが、はっきり変わったのです。窓口の職員にも、念を押すように諭(さと)されました。保育所の入所を調べれば拒否はできないと書かれていても、問題視される空気は伝わってくる。一時預かりの施設には、麻しん風しんの接種が必須と記されていました。
迷った末に、二種類だけは打とうと決めて小児科へ行った日、医師に「二歳過ぎからでは遅い、今日ほかのも打ちましょう」と言われました。全部は考えていないと言うと呆れた顔をされ、「子どもの権利を奪う親だ」という意味のことを言われました。その言葉が、包丁を研いだあとに指先に残る鉄のにおいみたいにずっと消えません。
副反応も怖い。でも、それ以上に人が怖い。この先ずっとこういう目で見られ続けるのかと思うと、耐えられなくなりました。保育所で息子が危険視されたら。ママ友に知られて、一緒に遊ばせたくないと思われたら。肯定派も否定派も、どちらの言い分も極端で何を信じればいいのか分かりません。今、私は人間関係を理由に接種を決めようとしています。私は、間違っているのでしょうか。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:読ませていただいてまず胸に残ったのは、「包丁を研いだあとの、指先に残る鉄のにおい」という言葉でした。健診の日、職員さんの声。医師の目つき。あなたはずっと、他人の顔色を一つひとつ拾い集めて、今日まで来たんですよね。その疲れが文章の隅々ににじんでいます。だから最初に言わせてください。あなたは、間違っていません。少なくとも、間違いだと決めつけられる筋合いのものではないと思うんです。
ケンゴ:その気持ちは分かる。ただ、私はそこで立ち止まってはいけないと思う。この方が抱えているのは、感情の問題であると同時に判断の問題だ。「肯定派も否定派も極端で分からない」——ここが核心だろう。情報の受け取り方の構造を整理しないまま人間関係の圧力だけで決めてしまえば、五年後にまた同じ場所で立ちすくむことになる。
サキ:ケンゴさんの言うことも分かります。ただ——この方は総菜屋の厨房に立って、夜は台所で下ごしらえをしながら息子さんを育てているんですよ。「構造を整理してから」というのは、正しいけれど正しすぎて、明日の朝にたどり着かない言葉になりはしませんか。私はまず、「今夜眠れるかどうか」の側から考えたいんです。
ケンゴ:……なるほど。生活の重さを軽く見ていたかもしれない。私が言いたかったのは、この方を追い詰めている情報の霧を少しでも晴らしたいということだ。
たとえば、厚生労働省が定期接種を勧めているのは罰則で縛るためではなく、麻しんや百日せきといった病気が乳幼児にとって命に関わる現実があるからだ。ワクチンの本数が多いのは、それだけ守るべき病気の種類があるからで、本数と発達障害を結ぶ科学的根拠は国際的な検証の中で、否定されてきた経緯がある。ここは感情とは別に、事実として知っておいてほしい。
サキ:その情報は大事です。私もそこは共有したい。でも同時に、この方が国や医療に感じている不信感を「間違いだ」と切り捨てたくないんです。過去に公的機関の説明が後から覆った出来事を、私たちはいくつも知っています。だから疑うこと自体、悪ではない。問題は疑いの矛先が、いつの間にか「子どもをどう守るか」から、「自分がどう見られるか」にすり替わってしまっていることではないでしょうか。
シオン:この方は「打つか、打たないか」を問うているように見えて、本当はもっと手前で震えているのではないだろうか。あの医師の「権利を奪う親だ」という一言が、この方の中の何を刺したのか。私にはそれが、「あなたは母親として失格だ」という宣告に聞こえたと思えてならない。石は、注射針の形をしていない。他者から向けられた「失格」という判定の形をしているのかもしれない。
自分に問いかけるロードマップ
一つめ。医師の言葉が忘れられないのは、あなた自身の中に「本当にこれでいいのか」という問いが、まだ消えずに残っているからではないでしょうか。もし完全に確信していたら、他人の言葉はここまで刺さらなかったかもしれません。
二つめ。今あなたが接種に傾いているのは、「子どもにとって最善だと納得できたから」でしょうか。それとも「もうこの視線に耐えられないから」でしょうか。この二つは同じ結論でも、根っこがまるで違います。
三つめ。「肯定派か、否定派か」という二択の外に、第三の場所はないでしょうか。たとえばあなたの不信感も、息子さんへの愛情も、両方を丸ごと持ったまま相談できる「かかりつけの医師」を、押し問答の医師とは別に探すこと。極端な本や講演会ではなく、あなた自身の質問に一つずつ答えてくれる誰かを。
本日の羅針盤
サキとして、私はあなたに「間違っていない」と伝えたいと思います。人間関係を理由に迷うことは弱さではなく、この社会の中で子どもを育てていく上でのまっとうな現実感覚です。ただ一つだけ願うのは、「人が怖いから打つ」という理由で終わらせないでほしいということ。それではあの日刺さった鉄のにおいが、消えないまま残ってしまうから。
ケンゴの視点から言えば、判断の材料は恐怖でも同調圧力でもなく、あなた自身が納得できる情報であるべきです。厚生労働省の定期接種の考え方、個々のワクチンが防ぐ病気と副反応の頻度を、権威ではなく数字と根拠の形で、一つずつ確かめ直してほしい。そのとき、あなたを責めない専門家の存在が必ず助けになります。
シオンの声に耳を澄ませば、答えは「打つ/打たない」の彼方にあるのかもしれません。あなたが本当に取り戻したいのは、他人の判定に揺れない母親としての静かな足場ではないでしょうか。
どの結論を選ぶにせよ、それが「怖いから逃げた」のではなく「考えた末に選んだ」ものであるように。羅針盤は北を指すためではなく、あなたが今どこに立っているかを知るためにあります。
なお、ワクチンに関する具体的な判断については、公的な情報源(厚生労働省や各自治体の相談窓口)に加え、あなたの不安を頭ごなしに否定せず対話してくれる小児科医への相談をご検討ください。心の負担が続く場合は自治体の子育て支援センターや保健師への相談も、あなたを支える選択肢の一つです。





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