ワクチンの全責任は誰が引き受けるのか?「責任を取る」という言葉の賞味期限と、置き去りにされた現実

第三章 ―― エピローグ・水面が凪ぐ朝に

あの夜からひと月ほどが過ぎました。

私は結局、あれから一度も本を開いていません。講演会の案内メールも読まずに消しました。かわりに、保健所に電話をかけました。決めるためではなく、ただ話を聞いてほしくて。出てくれた保健師さんは、私が「本数が怖い」と言っても「独親だ」なんて言葉は一度も使いませんでした。「そう感じるお母さん、少なくないんですよ」と、それだけ言って私の話を最後まで聞いてくれたのです。

台所の水は、今も完全には澄みません。里芋の底に、うっすらと濁りが残っている。でもその濁った水ごと、私は鍋に火をつけられるようになりました。息子が煮物を口に運んで「おいしい」と言うとき、あの鉄のにおいのことを少しだけ忘れていられます。

よりみちナビゲーターの対話(結び)

サキ:この報告を読んで、私は台所の窓が少しだけ開いたような気がしました。あなたは答えを見つけたわけではないんですよね。本数への怖さも、あの医師への傷も、きっとまだ胸のどこかに残っている。でもあなたは「話を聞いてくれる誰か」を、自分の力で見つけました。それは決断そのものより、ずっと大きな一歩だと思うんです。

ケンゴ:私も同感だ。第一章で私は「構造を整理しろ」と言った。だが、この方が実際に動かしたのは構造ではなく、電話の受話器だった。保健師に電話をかけるというたった一つの具体的な行動が、押し問答の医師しかいなかった世界にもう一人、味方を増やした。私が数字で示そうとしたことよりも、この一本の電話のほうがよほど確かな一歩だ。素直に、そう思う。

サキ:ケンゴさんがそう言ってくれて、私うれしいです。

ケンゴ:……前の章で、私は自分の傲慢を取り消した。その続きのようなものだ。人を支えるのは正しい情報だけではない。正しさをいつ、どんな温度で差し出すか。それを教わったのは私のほうだった。

シオン:濁った水ごと、火にかける。この方はそう書いた。私はこの一行に、長く立ち止まっていた。澄んだ水を待ち続ける人生もあるだろう。だが、澄むのを待っているあいだにも子は育ち、腹を空かせる。濁りを抱いたまま鍋を火にかけられる人のことを、世間は「いい加減な親」と呼ぶかもしれない。だが私はそういう人のことを——生活を手放さなかった人と呼びたい。答えを持たないまま、それでも今日の一皿を出し続ける。それは逃げではない。むしろ、最も勇気のいる選択ではないだろうか。

サキ:シオンさん。私、最後にひとつだけ、この方にお伝えしたいことがあるんです。あなたはこの相談の最初に「私は間違っていますか」と書きました。でも、ひと月後のあなたはもうその問いを、誰かに投げていませんよね。保健師さんに電話をかけたとき、あなたは「間違っていないか」ではなく「話を聞いてほしい」と言った。問いが変わったんです。それがあなたが自分の足で立ち始めた証拠だと、私は思います。

自分に問いかけるロードマップ(最終)

七つめ。あなたはもう、「正しい親」になろうとするのをやめていいかもしれません。かわりに、「話せる相手を持っている親」であること。それはどんな知識よりも、あなたと息子さんを長く守ってくれるはずです。

八つめ。これから先、保育所で、ママ友の輪で、また誰かの視線に晒される日が来るでしょう。そのとき思い出してほしいのは、あなたには保健師さんという「否定しない誰か」がいる、という事実です。一人でなければ、視線は耐えられるものに変わります。

九つめ。最後に。あなたが息子さんに残したいのは、「完璧に守られた記憶」でしょうか。それとも「濁った水ごと、それでも火をつけてくれた母の背中」でしょうか。私は後者のほうが、ずっと長くお子さんを温めると思うのです。

本日の羅針盤(総括)

三章にわたって、私たちはあなたの隣に座り続けてきました。最後に、羅針盤の針が指し示したものを置いていきます。

サキとして、私が伝えたいのはただ一つ。あなたは間違っていません。そして今、あなたはもうその問いから卒業しつつあります。「話を聞いてほしい」と言える人は、自分を責める段階を静かに抜け出しているのです。

ケンゴの視点から言えば、判断はこれからも続きます。MRワクチンの時期も、この先の選択も、一度に決めなくていい。そのつどあなたが確かめた情報と、あなたを否定しない専門家の手を借りて一つずつ。恐怖でも同調圧力でもなく、あなた自身の納得を、判断の芯に据えてください。

シオンの声に耳を澄ませば、答えは澄んだ水の中にはありません。濁りを抱いたまま火をつけられること。それこそが生活を手放さなかった人の強さです。

人が怖いという気持ちは、これからも折にふれて戻ってくるでしょう。けれどそのたび、思い出してください。あなたの台所には、今日も湯気が立っている。息子さんはあなたの作ったものを「おいしい」と言って食べている。その事実の前では、他人のどんな視線も小さくなるはずです。

羅針盤は北を指すためではなく、あなたが今どこに立っているかを知るための道具でした。あなたは今、港町の台所に確かに両足で立っています。そこから先どちらへ歩くかは、あなたが決めていい。私たちはいつでもこのページで、あなたの帰りを待っています。

ワクチンに関する具体的な判断は、あなたの不安を否定せず対話してくれる小児科医、そして今回あなたが頼った保健所・保健師との継続的な相談の中で進めていってください。心の負担が重くなる日は、自治体の子育て支援センターやこころの相談窓口を、遠慮なく頼ってください。あなた一人で抱える必要はもうありません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました