第二章 ―― 作業着の袖と、まだ渡せていない返事
あの朝から、時間はどう流れたのか
サキ:お父さん、少しだけ八年間のことを聞かせてもらえますか。……いえ、無理にとは言いません。ただ私、想像するんです。娘さんが逝った次の日も、その次の日も、工場のシャッターは開いたんじゃないかって。町工場を継ぐって、そういうことですよね。悲しみに沈む時間さえ、機械が待ってくれない。朝が来れば油を差して、スイッチを入れて、注文の品を仕上げる。泣く間もなく手が動いてしまう。
アキ:それ、すごく分かる気がする。……悲しみって、まとまった時間があれば向き合えるってものじゃないんだよね。むしろ逆で、忙しさの合間、ふとした瞬間に襲いかかってくる。作業着の袖に腕を通す、そのたった数秒。そこに八年分の重さが全部乗ってくるんだ。お父さんが「朝、胸が塞ぐ」って書いてくれたの、私はその一文がいちばん胸に刺さったよ。
シオン:袖を通すという所作。それは生きて働く者だけがする動作だ。お父さんは八年間、毎朝それを続けてこられた。悲しみを抱えながら、それでも工場を止めなかった。私はそこに、ある種の静かな祈りを見る。仕事を続けることは、逃避ではない。あなたはお嬢さんがいなくなった世界で、なお日々を回し続けることを選んだ。それは残された者ができる、もっとも重い弔いの形かもしれない。
「悔い」という名の、もう一つの絆
アキ:ねえ、お父さん。ひとつだけ、聞いてみたいことがあるんだ。……もし明日、その悔いがきれいさっぱり消えたとして。あの朝のことをもう何とも思わなくなったとして。それって、あなたにとって「救い」なのかな。それとも――。
サキ:……アキさん、それは。
アキ:うん、残酷な問いなのは分かってる。ごめん。でもね、私ずっと考えてたんだ。悔いって苦しいものだけど、それって娘さんと今も繋がってる線でもあるんじゃないかって。悔いが消えるって、その線まで消えちゃうことなのかもしれない。だからお父さんは、無意識にそれを手放せずにいるんじゃないかな。
サキ:……お父さんの言うことも、アキさんの言うことも、私、両方分かるんです。ただ――私は悔いを、「絆だから抱き続けなさい」とは言いたくないんです。それだと、苦しみ続けることが娘さんへの愛の証明になってしまう。毎朝胸を塞がせ続けることが、供養になってしまう。それはあんまりです。娘さんは、お父さんにそんな朝を八年も過ごしてほしくて「困る」と言われたわけじゃない。
アキ:……そうだね。私、また急ぎすぎた。サキさんの言う通りだ。悔いを抱えることと、悔いに縛られることは違うんだね。
シオン:お父さん。娘さんと繋がる線は、悔いだけではないはずだ。彼女が笑った顔、口癖、車のハンドルを握るときの横顔。あなたを「お父さん」と呼んだ、その声の高さ。それらもすべて、今もあなたの中に生きている線になる。悔いという一本の細い糸だけを握りしめなくても、あなたと娘さんはもっと太い縁で結ばれている。悔いを手放しても、彼女はいなくなったりしない。
まだ渡せていない、あなたからの返事
サキ:お父さん。第一章で私たち、娘さんが最後に受け取ったのは「いてほしい」という言葉だった、とお話ししましたよね。……でも、逆はどうでしょう。娘さんは最後に、お父さんに何かを渡したまま逝ったんじゃないでしょうか。「一番先にいなくなる気がする」という予感を。あれは、お父さんへの問いかけだった。そして八年間、お父さんはずっとその問いに、答えを探し続けてこられた。
アキ:そっか……お父さんはずっと、娘さんに返事を書こうとしてたんだ。「何て言えばよかったのか」って。それ、返事を書けない自分を責める八年間だったんだね。
シオン:ならば、返事は「正しい言葉」でなくてよいだろう。娘さんが待っているのは、あの朝に間に合う完璧な台詞ではない。今のあなたが、八年分の時間を通り抜けたあなたが、彼女に向けて口にする言葉になる。「すまなかった」でもいい。「会いたい」でもいい。あるいは、ただ工場の隅で旋盤の音がやんだ静けさのなかで、名前を呼ぶことでもいい。返事に締め切りはないのだ。
自分に問いかけるロードマップ
- もし悔いが明日消えたら、それは「救い」だろうか、それとも「喪失」だろうか。その感覚は、あなたと娘さんを繋ぐものの正体を教えてくれる。
- あなたが娘さんと繋がっている線は、本当に「悔い」だけだろうか。他にどんな線が、今も自分の中に生きているだろうか。
- 苦しみ続けることは、愛の証明ではない。では、娘さんが望んだはずの「父の朝」とは、どんな朝だろうか。
- あの朝の予感への「返事」を、今のあなたの言葉で書くとしたら。完璧である必要はない。
本日の羅針盤
八年という歳月は、悲しみを消すためにあったのではありません。悲しみと共に生きる方法を、あなたの身体が少しずつ覚えていくための時間でした。毎朝袖を通し、工場を回し続けたその手がその証です。
悔いは手放しても構いません。それは娘さんを忘れることではないからです。アキが気づいたように、悔いは絆の一本の糸ですが、シオンが示したように、あなたと娘さんはもっと太い縁で結ばれている。笑った顔も、呼んだ声も、あなたの中で今も生きています。
そしてサキが照らしたように、あなたは八年間、娘さんの最後の言葉への「返事」を探してこられた。その返事は、あの朝に間に合う完璧な台詞ではなく、今のあなたの言葉でいい。締め切りのない手紙を、いつかあなたのペースで書けばいい。
苦しみ続けることが供養ではありません。娘さんが最後に望んだのは父が困ること――つまり、父にそばにいてほしいということでした。ならばあなたが穏やかな朝を取り戻していくことこそ、彼女が本当に望んだ景色なのかもしれません。
長い年月を経てなお癒えない悲しみは、決して「弱さ」ではありません。ただ、その重さを一人で背負い続ける必要もないのです。グリーフケアの専門窓口やお子さんを亡くされた方々の分かち合いの会など、同じ痛みを知る人とそっと言葉を交わせる場所が各地にあります。どうか、あなたが少しでも息をつける場所へたどり着けますように。



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