偶然か、虫の知らせか。亡くなった同僚と、網戸の白い羽が教えてくれたこと

終章 ―― 白い羽が、置いていったもの

季節がひとつ、進みました。あの夜から、しばらく経ったある日のことです。
私は仕事帰り、彼女の好きだった甘いものを買って帰りました。理由は自分でもよく分かりません。コンビニの棚の前で、彼女がよく休憩室で食べていた小さなどら焼きが、ふと目に入ったので。気づいたら、手に取っていました。 家に帰ってお茶を淹れて、ひとりでそれを食べました。
あんこの甘さが舌の上にゆっくり広がって。彼女が「これ、おいしいんですよ」と言っていたあの少し照れたような笑い方を、急に思い出しました。そうしたらなぜか、涙が出てきたんです。悲しい涙とは、少し違いました。
その夜もう一度、私は網戸のほうを見ました。白い羽はもういません。当たり前です。けれど不思議と寂しくありませんでした。来てくれた、来てくれなかった。霊だった、偶然だった。そういうことがもう、どうでもよくなっていたんです。ただこうして、彼女のことを思い出している。それだけでいいんだと。

よりみちナビゲーターの対話

サキ: ……どら焼きのあんこの甘さ。お茶の湯気。そして彼女の照れた笑い方。読んでいて、私まで休憩室の景色が見えるようでした。あなたは答えを探すのをやめたわけではなくて、答えのいらない場所に自分で歩いて辿り着かれたんですね。買い物の途中に、ふと手が伸びた。その「ふと」の中にもう、すべてが入っていた気がします。

ケンゴ: ……うん。私は三章にわたって構造だ、因果だと、理屈の側から話してきた。けれどこの終章を読んで思った。結局、人を悼むというのはこういうことなんだろう。どら焼きを一つ買う。それだけの小さな行いの中に、論理では届かないものがちゃんとある。私の出番は、もうないな。

サキ: ふふ。ケンゴさん、そんなことないですよ。あなたが「決着をつけなくていい」と言ってくれたから、この方は答えを手放せたんだと思います。

ケンゴ: ……そう言ってもらえると救われる。ありがとう。

シオン: 白い羽は、もういない。けれど何も持ち去りはしなかった。むしろ、置いていったのだ。

あの夜、網戸に来たものの正体を、私たちは突き止めなかった。それでよかった。なぜなら大切だったのはその正体ではなく、それをきっかけにあなたの中で何かが動きはじめたということなのだから。

人を喪うとはその人がいなくなることだと、私たちは思いがちだ。けれど本当はそうではないのかもしれない。喪うことを通して、その人はあなたの中に、別の形で住みなおす。どら焼きの甘さの中に。お茶の湯気の中に。照れた笑い方の記憶の中に。

涙が出て、けれど寂しくはなかったとあなたはおっしゃる。それは悲しみが優しさへと姿を変えはじめた、兆しではないだろうか。

白い羽はお別れを言いに来たのではない。あなたが彼女を自分の中に迎え入れるための、小さな入口をそっと開けに来た。私にはそんなふうに思える。

もう、網戸の前に立たなくていい。彼女はもっと近いところにいるのだから。

自分に問いかけるロードマップ

  • 私はその人を「思い出せること」を、寂しさではなく温かさとして受け取れているだろうか。
  • 悲しい涙と、そうでない涙。その違いに、私はいつ気づいただろう。
  • これから先、ふとした甘さや香り、誰かの笑い方の中にあの人を見つけたとき、私はどんな顔をしていたいだろう。
  • 答えを探すのをやめたとき、私の心は軽くなっただろうか。

本日の羅針盤

人を悼む時間は悲しみから始まり、いつしか別の何かへと姿を変えていきます。それは忘れることでも割り切ることでもありません。サキが言ったように、答えのいらない場所へ自分の足で辿り着くこと。ケンゴが認めたように、どら焼きを一つ買うという小さな行いの中に、論理を超えたものが宿ること。

そしてシオンの言葉の通り、喪うことはその人がいなくなることではなく、別の形で自分の中に住みなおすことなのかもしれません。白い羽が霊だったのか偶然だったのか、その問いはもう、あなたを縛りません。

あなたは彼女を思い出せる。甘いものの味の中に、湯気の向こうに、照れた笑い方の記憶の中に。それで十分です。寂しさが優しさへと姿を変えていく。その静かな移ろいを、どうか急がず大切になさってください。

彼女はもう網戸の外でなく、あなたの暮らしのすぐそばにいます。

これにて、本日の物語をすべて閉じます。もし悲しみが再び深くなる日が訪れても、それは後戻りではなく、想いの深さの証です。必要なときにはグリーフケアの窓口や、信頼できる方の手を、どうか遠慮なく借りてください。あなたがあなたの速さで歩んでいけますように。

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