第三章 恋愛は終わらない。形が変わるだけ、とも言い切れない
よりみちナビゲーターの対話
サキ:最後に、あなたが最初に投げた問いに向き合いたいと思います。「恋愛は、結婚したら終わるものなのでしょうか」。これ、あなたはもう半分、終わったと思っていますよね。
相談者:……思っています。あの夜より前から、たぶん。
サキ:私はその感覚を否定しません。三年で変わるものは、確かに変わります。ただ、変わったものを恋愛と呼ぶかどうかは、本人が決めていいことなんです。私自身、結婚して十年近く経ちますけど、いまの関係を恋愛と呼ぶか聞かれたら困ります。でも、相手が夜中に台所で水を飲む音で目が覚めて、ああ帰ってきたんだと思う。あの安心感を何と呼ぶのか、私はまだ名前をつけられていません。
アキ:私は、名前をつけないままにしておくのはちょっとずるいと思う。名前がないと続ける理由も、やめる理由も曖昧になるから。この人はいま、続けるかどうかを決めたくて相談してるんじゃないの。
サキ:アキさんの言い方は誠実だと思います。ただ、ここで名前を決めさせるのはまだ早いと私は思うんです。決めるための材料が、そろっていない。八月下旬から、二人はまだ一度も話していないんですから。
ケンゴ:私もいまの判断材料では決められないと考える。あなたは焼き鳥屋で聞いた三つの生き方を、選択肢の一覧のように受け取ったのだろう。だがそれは、三人がそれぞれ十年かけて到達した結論だ。到達点だけを見て自分の三年目に当てはめても、寸法が合わない。あなたが今持っている材料は、あの夜の一回だけだ。
シオン:三人の話に共通していたものが、ひとつあるように見えた。誰も相手と正面から話すことについては語らなかった。黙認、我慢、制度の外へ。いずれも、話さないままで暮らしを保つ工夫だ。それは知恵かもしれない。だが、あなたが感じた不快はその工夫を、自分の家に持ち込みたくないという声だったのではないだろうか。
相談者:……不快だったのは、最初の人の話でした。バレなきゃいいと笑ったところで、僕は飲むのをやめました。
サキ:それがあなたの答えの、いちばん硬い部分ですね。あなたはまだ、この関係を正面からやりたいと思っている。気力が出ないと書いた人が、そこだけは譲らなかった。
アキ:じゃあ、私からひとつだけ。話すときに「僕のことを考えてくれないよね」から始めないでほしい。それは正しいけど、返事が「そんなことない」しか来ない形なんだ。「先に言えなかった僕にも癖がある。だから九月から、休みの予定は月初に出し合いたい」から始めたら、相手は逃げ場がある。逃げ場がある話し方のほうが、遠くまで行くよ。
ケンゴ:具体的な設計としては、月の初めに二人でカレンダーを開き、それぞれの譲れない一日を先に一つずつ置く。残りを埋める。これだけでいい。感情の総括を先にやろうとすると、たいてい途中で決裂する。順番を作るのが先で、気持ちの話は順番が動き出してからのほうが通る。
サキ:そして、それでも動かないときのためにひとつ申し添えます。二人で話す形が何度やっても行き詰まる場合、第三者を入れることは失敗ではありません。自治体の家庭相談窓口や、夫婦を対象にしたカウンセリングがあります。眠れない、食事が入らない、仕事の集中が続かないといった状態が二週間以上続いているなら、そちらは体の問題として、医療機関に相談してください。あなたの体力の話は、関係の話より前に来ます。
シオン:静かな家に戻る人へ、ひとつだけ。風鈴をしまうか、そのままにするか。どちらでもいいのだが、その選択をあなたが自分の手で行うことに、幾ばくかの意味があるかもしれない。あなたはこの夏、家の中で起こることをずっと決められない側にいたのだから。
本日の羅針盤(最終)
無理に一本にはまとめません。三つの視座を、そのまま置いておきます。
サキの視座:恋愛が終わったのではなく、二人とも疲れていて、名前をつけ直す作業を後回しにしてきた。まず自分の体力を戻し、名前は急いで決めない。
ケンゴの視座:問題は愛情の残量ではなく、休日という資源の配分に順番がなかったこと。九月から月初にカレンダーを開いて、譲れない二人の一日を先に置く。設計が動けば、気持ちの話は通りやすくなる。次の判断は、材料がそろってからでいい。
アキの視座:今週の自分を先に救うこと。行きたい場所には、行くと言って行く。話すときは、相手に逃げ場のある言い方で始める。名前をつけない曖昧さに、いつまでも居座らないこと。
シオンの言葉を最後に置きます。あなたは「冷めた関係」と書いたが、実際に書かれていたのは静けさだった。冷めたものは温め直す話になり、静かなものは誰かが先に音を立てる話になる。どちらの家に住んでいるのかを見極めるのは、あなた自身だ。



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