前章のふりかえり
妻を四年前に亡くし、五十八歳で製版の仕事を退いた男性。最初の一年は自由を贅沢に感じていたものの、いつしか午前中から台所の椅子でグラスに手が伸びるようになった。
「誰も私の一日を待っていない」──その静けさを、私たちは「暇」ではなく「待たれない孤独」として読み解いた。第二章では、具体的に何から手をつければいいのか、最初の一歩に踏み込んでいく。
いきなり「生きがい」を探さなくていい
正直言うと、周りが親切であればあるほど少し苦しい。姪が「何か趣味を見つけたら」と言ってくれる。ありがたい。だが、その「趣味」という言葉が今の私には重い。趣味というのは、心に余裕がある人間が持つものだろう。今の私にあるのは余裕ではなく、空白だ。空白を「何か立派なもの」で埋めろと言われている気がして、余計に動けなくなる。
盆栽の水やりだけは続いている。あれだけは、やらなければ枯れる。私を必要としているのが鉢の中の一本の木だけだというのは、我ながら笑ってしまう。だが、その一本があるから朝、まだ布団から出られている気もするのだ。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:私、この「趣味という言葉が重い」というところ、痛いほど分かるんです。良かれと思ってかけられる「何か始めたら」という言葉に、追い詰まってしまうことありますよね。この方はもう、頑張って何かを立ち上げる段階じゃない。むしろすでに続いている盆栽の水やり、その一本をそっと肯定してあげることから始まる気がします。
ケンゴ:私もいきなり「生きがい」という大きな旗を立てるのは反対だ。人はそんな立派なもので動くわけじゃない。ただ、サキの言う「水やりを肯定する」だけでは、私は一歩足りないと思う。肯定は留まる力にはなるが、進む力にはなりにくい。この方には鉢の木の隣に、もう一つだけ「私を待つもの」を足す設計が要る。趣味ではなく、役割だ。
サキ:役割、ですか。ケンゴさんの言うことも分かります。ただ──役割って、また「頼まれ事」ですよね。この方は頼まれ事に応え続けてきて、今やっとそこから降りた人でもある。もう一度そこに戻すのが本当にこの方を楽にするのか、私は少し慎重になりたいんです。
ケンゴ:いい指摘だ。私が言う役割は、会社のあの重い責任とは違う。たとえば──地域の小さな図書室で週に一度、本の背表紙を整えるだけでもいい。誰かに深く頼られる必要はない。「あの人が来ないと棚が乱れる」という程度の、ごく軽い必要とされ方だ。責任の重さではなく、頻度と場所が決まっていることに意味がある。九時に行く場所がある。それだけで昼のグラスは、自然と後ろへずれる。
サキ:……なるほど。「深く頼られる」のではなく「ちょっと欠けると困られる」くらい。その温度なら確かにこの方の肩にも、重くのしかからないかもしれませんね。腑に落ちました。
シオン:二人の話を聞いていて、私は「盆栽」という素材そのものに、すでにこの方の答えが半分埋まっているように思う。真柏という木は、何十年もかけて姿を整えていくものだ。今日水をやったからといって、明日変わるわけではない。
この方は成果がすぐに出ないものを、毎朝黙って世話する力をすでに持っている。それは失われた能力ではなく、今も生きている能力ではないだろうか。空白を埋めるものを外に探す前に、その手元にある力が次に何を世話したがっているか。そこに耳を澄ませるのもいい。
自分に問いかけるロードマップ
- 「趣味を持たなければ」という言葉に、私は誰の期待を感じているのか。姪の親切か、それとも「立派でいなければ」という昔の自分の癖か。
- 盆栽の水やりを「たった一本」と笑うが、それは本当に小さなことなのか。毎朝枯らさずに続けている自分を、私は正当に認めているだろうか。
- もし役割を一つ増やすとしたら、それは「重く頼られる」ものか、「軽く欠けると困られる」ものか。私がいま耐えられるのは、どちらの重さだろう。
- 何十年も木を育ててきた私の手は、次に何を世話したいと思っているだろうか。
本日の羅針盤
第二章で見えてきたのは、「生きがい」という大きな言葉から、いったん降りていいということだ。
サキの視座は「すでに続いていることを肯定する」。ゼロから立ち上げるのではなく、盆栽の水やりという、たった一つの続いている習慣を足場として認めること。人は新しいものより、すでに手にしているもののほうが立ち上がりやすい。
ケンゴの視座は「軽い役割を、頻度と場所で設計する」。深く頼られる責任ではなく、「週に一度、決まった場所に行く」という時間割そのものを取り戻すこと。地域の図書室、公民館、町の共同菜園──重さより、定期性が効く。
シオンの視座は「すでにある力に耳を澄ます」。成果の遅いものを黙って世話し続けられる、この方の手の力、そのものが財産である。次に世話したいものは、案外すぐそばにある。
もし、姪御さんがご親戚として何か手伝えることがあるなら、「趣味を見つけて」と背中を押すより、「その盆栽、見せてよ」とその方がすでに続けている一本に関心を寄せることのほうが、ずっと大きな力になるかもしれません。人は自分が世話しているものに誰かが目を向けてくれたとき、初めて「自分の一日に意味があった」と感じられるものですから。
なお前章でも触れた通り、昼間からの飲酒が続き気分の落ち込みが長引いている場合は、地域包括支援センターやかかりつけ医への相談も、無理のない範囲でご検討ください。




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