盆栽と図書室がつないだ時間。定年後の孤独を「生きがい」以外で満たす方法

背表紙の向こうに、あの人の割烹着が見えた

図書室に通い始めて、ひと月ほどが過ぎた。あの日から翌週も、そのまた翌週も、私はなんとなく足を運んでいる。決意したわけではない。ただ、火曜日の午後が近づくと、体のどこかが自然と支度を始めるようになった。

その日は返却された本を分類番号順に戻す、いつもの作業をしていた。
八〇〇番台。言語の棚だ。古い辞書や漢和辞典が並ぶ、あまり借り手のない一角である。私は一冊ずつ、背表紙の数字を確かめながら正しい位置へ収めていった。

ふと、指が止まった。

布張りの、古い国語辞典だった。背が日に焼けて、金色の箔押しの文字がところどころ剥げている。その色合いに、見覚えがあった。妻が嫁入り道具の中に紛れ込ませていた、あの辞典と同じ装丁だったのだ。

妻は言葉の読み方が分からなくなると、決まってその辞典を引いた。台所の隅、味噌や醤油の並ぶ棚の端に、なぜか一冊だけ置いてあった。
「料理の本を読んでて、分からん字があるから」と、割烹着のまま油で汚れた指で、律儀にページを繰っていく。私が「スマホで調べたらすぐだろう」と言うと、「これのほうが、周りの言葉まで目に入って面白いのよ」と、こちらを見もせず笑っていた。

背表紙を見つめているうちに、あの台所の匂いが鼻の奥に戻ってきた。夕方の味噌汁の湯気。換気扇の低いうなり。まな板を叩く、規則正しい包丁の音。そして辞典のページをめくる、あの乾いた紙の音。全部が一つの部屋の中に、確かにあった。

私はその辞典を、棚に戻せずにいた。しばらく手に持ったまま、突っ立っていた。年上のボランティアの女性が、「どうかされました」と声をかけてくれる。私はなんでもないですと答えて、辞典を八〇〇番台の決められた場所へ、そっと戻した。

帰り道、いつものベンチには座らなかった。まっすぐ家に帰り、台所の棚の端を見た。妻の辞典は、四年前と同じ場所で埃をかぶっている。私はそれを手に取った。ページを開くと、しおり代わりに挟まっていたのだろう、色の褪せたレシピの切り抜きが、はらりと落ちた。
「筑前煮」と、妻の丸い字で書いてあった。

その晩、私はグラスを手に取らなかった。代わりにその辞典を台所の椅子に座って、あてもなくめくっていた。妻が言った通り、確かに探していない言葉までが目に入ってきた。

よりみちナビゲーターの対話

サキ:……この場面、私、読んでいて胸がいっぱいになりました。図書室で他人の辞典を戻していた手が、家に帰って奥さまの辞典を開く。しおり代わりのレシピの切り抜きが落ちるところ。妻を亡くしてからずっと閉じていた台所の棚がこの日、四年ぶりに開いたんですよね。

ケンゴ:私はこの方が最後にグラスを取らなかったという事実に、静かに敬意を払いたい。今日ばかりは私の言う、「時間割」や「役割」の話ではないと思う。この方を家に向かわせたのは、火曜日の予定でも、酒をやめる意志でもない。他人の棚の、日焼けした一冊の背表紙だった。人を動かすのは時に、こんなにも予測のつかないものなのだと思い知らされる。

サキ:ケンゴさんが「時間割の話ではない」と言うの、私、意外でした。でもそうですよね。むしろ、火曜日に通う習慣があったからこそその辞典に出会えた。ケンゴさんの言う定期の線が、この偶然を運んできたとも言えませんか。

ケンゴ:……ああ。そうか。そういうことだ。私は「役割が酒を後ろへ押しやる」と言い続けてきたが、本当は違ったかもしれない。役割は酒を押しやるためではなく、この人が亡くした人ともう一度出会うための、遠回りの道だったんだ。図書室という場所がなければ、あの辞典には一生出会わなかった。サキの言う通りだ。時間割が、偶然を運んだ。

シオン:この方はずっと、「一人で家にいると暇でしょうがない」と言っていた。だが今日、この方は一人で家にいて、辞典をめくり、酒を取らなかった。
何が変わったのか。私はこう思う。四年間、この家の静けさは「不在」の静けさだった。誰もいない、待つ人もいない、空っぽの静けさ。ところが今夜、同じ台所で、同じ椅子で、この方はページをめくっていた。その静けさはもう、「不在」ではない。妻の丸い字が、筑前煮の切り抜きが、辞典の中の「探していない言葉」が、その部屋を満たしていた。同じ一人でも、空っぽの一人と誰かに満たされた一人では、まるで違う。

暇だからうつになる、とこの方は言った。だが本当は、暇だったのではない。ただ、その部屋を満たすものを、開く鍵を、まだ見つけていなかっただけなのだ。鍵は日焼けした、背表紙の中にあった。

自分に問いかけるロードマップ

  • 私が「暇だ」と感じていた時間は、本当に空っぽだったのか。それともそこにあるものを、私が見ないようにしていただけなのか。
  • 妻の辞典を四年間開けなかったのは、忘れたかったからか。それとも開けば会えてしまうことが、怖かったからか。
  • 図書室という遠回りをしなければ、私はあの辞典に手を伸ばせなかった。私にとっての「遠回りの道」は、他にもあるだろうか。
  • 探していない言葉まで目に入ってくる。妻はそう言った。私の残りの日々にも、探していない何かが、まだ紛れ込んでいるのではないか。

本日の羅針盤

この記事を通して見えてきたのは、定年後の孤独に効くものは「立派な生きがい」でも、「意志の力」でもなかったということです。

きっかけは姪に背中を押された、地区の小さな図書室。ケンゴの言う「軽い役割」が、火曜日という定期の線を引いた。
その線の上で、この方は偶然、日焼けした背表紙に出会った。それがサキの言う「味わう感覚」を呼び戻し、閉じていた台所の棚を四年ぶりに開かせた。
そしてシオンの言う通り、この方の「一人」は空っぽの一人から、亡き妻に満たされた一人へと、静かに姿を変えた。

役割は酒をやめるための手段ではありませんでした。それは、亡くした人ともう一度出会うための、遠回りの道だったのです。

ご親戚としてもし何かできることがあるなら、「立ち直ってくれ」と願うより、その方が通う小さな場所を、そっと応援してあげてください。
回復は、正面からはやってきません。図書室の八〇〇番台の棚の日焼けした一冊のように、思いがけない横道からふいに訪れます。私たちにできるのは、その横道を塞がずにおくこと。ただ、それだけなのだと思います。

そしてもし飲酒や気分の落ち込みがぶり返すことがあっても、それは後戻りではありません。良い日と悪い日を行き来しながら、人は少しずつ温度を取り戻していきます。必要なときには地域包括支援センターやかかりつけ医といった専門機関の力も、遠慮なく借りてください。

台所の椅子で辞典をめくるこの方の夜が、これからも静かに満たされたものでありますように。

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