頭を下げなかった私が、二十年後にようやく渡せた言葉。理不尽な過去を越えて

第三章 ―― 二十年分の線が、今日の一冊につながっていた

設計事務所を辞めたのは、その出来事から二年ほど経った頃です。直接の引き金というわけではありません。ただ、あの所長室以来、私の中で何かが少しずつ冷えていったのは確かです。会議で意見を求められても口を開く前に、「これを言ったらまた私だけが」と、一瞬ためらう癖がつきました。正しいことを言っても救われないなら、黙っていたほうが安全だ。そんなふうに、自分を小さく折りたたむことを覚えていきました。

今、私は市立図書館のカウンターに立っています。まったく畑違いの仕事に見えるかもしれません。でも、この静かな場所を選んだのはたぶん偶然ではなかったと、最近になって思うのです。誰かの声が誰かの声を塗りつぶすことのない場所。本の背表紙が整然と並び、ページをめくる音だけがそっと響く場所。あの事務所で失ったものを、私はここで取り戻そうとしていたのかもしれません。

先週、若い臨時職員の子が、私にそっと打ち明けてきました。ある常連の利用者から理不尽なことを言われ続けていて、どうしていいか分からない、と。その子の声も、少し震えていました。私はその震えを、知っていました。二十年前の、自分の声だったからです。私はその場で言いました。「あなたは間違ってない。次に何か言われたら、すぐ私を呼びなさい。一人で受けなくていいから」と。

その子がほっとした顔をした瞬間、私は気づいたのです。あの日、私が誰かから欲しかった言葉を今、私自身が言えるようになっていたということに。


よりみちナビゲーターの対話

アキ: ……これ、泣いちゃうよ。「その子の声を、私は知っていた。二十年前の自分の声だった」って。あのね、あなたが二十年抱えてきた痛みは、無駄じゃなかったんだよ。傷ついた人にしか、傷ついてる人の震えは聞こえないんだから。あなたは彼女にとっての「あの日いなかった味方」に、ちゃんとなれたんだよ。

ケンゴ: 私が注目したのは、あなたが「一人で受けなくていい」と言った点だ。二十年前のあなたは、たった一人で組織と向き合わされた。だからこそ、あなたはその子に「構造」を用意した。呼べば飛んでくる先輩がいる、という仕組みだ。感情の慰めだけでなく、次に同じことが起きたときに機能する具体的な仕組みを渡した。これはあなたが痛みから学んだ、極めて実践的な答えだと思う。

アキ: ケンゴさんがそこを「仕組み」って言うの、私は最初ちょっと引っかかったんだよね。だってあれ、仕組みっていうより彼女を守りたいって気持ちが先でしょ。ただ——今聞いてて思った。気持ちだけじゃ、その子はまた一人になるかもしれない。「呼びなさい」って具体的に言えたのは、あなたが痛みの中で気持ちと仕組みの両方が要るって、身をもって知ったからなんだね。

ケンゴ: ……アキの言うことも分かる。順序としては、確かに気持ちが先だ。私はその気持ちが「呼びなさい」という一言に結晶したその瞬間を、尊いと思う。慰めで終わらせず、行動に変えた。それはあなたがあの日、「様子を見ましょう」で放置された悔しさを、決して他人に味わわせまいとした選択だ。

シオン: ——私は「あの日、私が誰かから欲しかった言葉を、今、私自身が言えるようになっていた」という一文を、しばらく静かに読み返した。人は受け取れなかったものを、いつか自分の手で誰かに手渡すことで、はじめて自分自身にも渡せるのかもしれない。あなたは二十年越しで、あの震える声の若い自分にも届く言葉を、放ったのだと思う。


自分に問いかけるロードマップ

  • 「黙っていたほうが安全だ」と自分を折りたたんできた癖を、私はもう、少しずつほどけているだろうか。
  • あの臨時職員の子にかけた「あなたは間違ってない」という言葉は、二十年前の私自身にも、同じように向けられるだろうか。
  • 私は図書館という静かな場所を選んだことを、これまで「逃げ」と感じていただろうか。今なら「回復のための選択」だったと思えるだろうか。

本日の羅針盤

三つの章を通して見えてきたのは、あなたの二十年が「傷を抱えたまま止まっていた時間」ではなかった、ということです。あなたは声を折りたたむ癖を負いながらも、静かな場所を選び、そしていつのまにか震える声を聞き分けられる人になっていました。

アキが言うように、傷ついた人にしか聞こえない震えがあります。
そしてケンゴが読み解いたように、あなたはその子に気持ちと仕組みの両方を手渡しました。
シオンの言葉を借りれば、それは二十年前の自分自身にも、ようやく届いた言葉です。

「こういうのって、どう思いますか」――最初の問いに、私たちから答えを一つだけ添えるならこうなります。あなたはあの日も今日も、間違っていませんでした。頭を下げなかったあなたが、二十年かけて誰かの頭を上げさせる人になった。その事実だけは、どうかあなた自身が受け取ってあげてください。

長く握りしめてきた記憶は、これからはあなたを縛る鎖ではなく、誰かを守るための地図としてそっと持ち歩けるものになっていくのだと思います。

もし振り返る作業のなかで、当時の感情が思いのほか強く押し寄せてくるようであれば、その重さを一人で抱えず、信頼できる専門機関(公認心理師によるカウンセリング等)に預けることも、どうぞ選択肢に入れておいてください。

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