目を見て話せなくなった僕と、コーヒーカップの逃げ場所
三十代半ばになる僕は、区役所の窓口で働いている。妻と、まだ小学校に上がらない娘がひとり。半年ほど前までは、正直こんなことで悩む人間ではなかった。
隣の席に、入庁が同期の男がいた。書類の山に埋もれながらも、昼休みには互いの家族の話をして笑い合える、そういう相手だった。彼が春に転職で辞めていってから、何かがずれ始める。もう職場に深い付き合いなんていらない、と自分に言い聞かせるようになっていた。表向きは誰とも波風なく、雑談にも入る。皆で笑う瞬間もある。それなのに途中で、ふっと息が詰まる。
人と話すとき、目を合わせるのが怖い。逸らすと不自然だと思って無理に見る。すると胸が苦しくなって、今度は逸らすタイミングを見失う。緊張して相手の言葉が耳を素通りしていく。挙動不審に見えているんじゃないか。誰に指摘されたわけでもない。ただ自分の頭の中だけで、そう思われている気がしてならない。
唯一楽になれるのは、外の喫煙所で紙巻きタバコに火をつけているときだ。煙を吐き出している間は、目を合わせなくていい。沈黙も気にならない。それが救いだと言われたら、たぶんそうなのだと思う。
先週、学生時代の友人と久しぶりに会った。昔は当たり前に目を見て笑い合えた相手なのに、視線がぎこちなくなっている自分に気づいて、帰り道で少し落ち込んだ。
がんばれとか、タバコに頼るなとか、そういう励ましが欲しいんじゃない。ただ、これが何なのか、どうすれば元に戻れるのかを知りたい。
よりみちナビゲーターの対話
アキ:読んでてね、私、胸のあたりがきゅっとなったよ。目を合わせるのが怖いって頭の問題みたいに聞こえるけど、実際に「胸が苦しくなる」って書いてくれてるでしょ。あれ、身体がちゃんと悲鳴を上げてるんだと思う。
同期の人が辞めたあと「もう深い付き合いはいらない」って自分に言い聞かせたって、あるよね、そういうふうに心を閉じる瞬間。でもね、それ閉じたんじゃなくて、傷つかないように守っただけだと思うんだ。
ケンゴ:アキの言うことは分かる。ただ、私は順番を見たい。この人は「最近なんです、こんな症状が出たのは」とはっきり書いている。つまり性格の問題ではなく、ある時点を境に起きた変化だ。
同期が辞めた、そこで「もう仲良しはいらない」と決めた。私が思うに、目を合わせられないのは原因ではなく結果だ。
深く関わらないと決めた人間が、相手の目を見られなくなるのは構造として自然だろう。目は、いちばん近くで人とつながる場所だからだ。
アキ:ケンゴさんの言うこと、筋は通ってる。でもさ、「構造だから自然」で片づけると、この人が今日感じてる息苦しさが置いてけぼりになっちゃわない? 理屈で分かっても、胸は苦しいままなんだよ。
ケンゴ:置いてけぼりにするつもりはない。むしろ逆だ。原因が「壁を作った自分の選択」にあるなら、そこには手が届くということだろう。生まれつきの性質なら変えようがないが、選択なら選び直せる。私はそこに希望を見ている。
サキ:おふたりの話、どちらもうなずけますね。ただ私が引っかかったのは、喫煙所のくだりなんです。煙を吐いている間は目を合わせなくていい、沈黙も怖くないって。あれ、この方なりに見つけた「安全な避難場所」ですよね。
灰皿のふちで指を休める、あの手持ち無沙汰の解消。私、責める気にはとてもなれなくて。ただ──避難場所があるということは、避難したくなる場所が日常のほうに広がっているということでもあって。生活の重心がどちらに寄っているのかは、少し気になりますよね。
アキ:それ、わかる。タバコが悪いんじゃなくて、タバコがないと持たない状況のほうがしんどいんだよね。
シオン:……この方は、「昔はそうでもなかった」と何度も書いておられる。失われたものを取り戻したい、と。けれど、同じ目には二度と戻れないのかもしれない。同期が去る前の自分と去ったあとの自分は、もう違う場所に立っている。戻すのではなく、その目のまま、また誰かと向き合えるようになる。そういう道もあるのではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 目を合わせるのが怖いのは、「全員」に対してだろうか。それとも心を開いてもいいと思える相手ほど、かえって苦しくなってはいないか。
- 「もう仲良しはいらない」と決めたあの日、僕は本当にそう思ったのか。それとも、もう二度と失いたくなかっただけなのか。
- 喫煙所で楽になるのは、煙のおかげか。それとも、そこでは「向き合わなくていい」という許可が自分に出せているからか。
- 元に戻すことがゴールなのか。それとも、今の自分のまま新しい距離感を見つけることがゴールなのか。
本日の羅針盤
この症状はあなたの弱さではなく、大切な人を失った心が働かせた防衛反応だと考えられます。目を合わせられないのは病というより、「これ以上傷つきたくない」という気持ちが、視線という一番近い接触を避けさせているのかもしれません。
だからこそアキの言うように、まずは苦しくなる自分を責めないこと。そしてケンゴの言うように、「壁を作った」のが選択だったのなら、その壁の高さは少しずつ選び直せます。
具体的には、目そのものを見ようとせず、相手の眉間や鼻のあたりに視線を置くだけでも、相手には「見ている」ように伝わり、あなたの緊張はほぐれます。会話中ずっと見続ける必要はなく、話の区切りで一瞬視線を合わせ、あとは資料や手元に自然に落とす——これは多くの人が無意識にやっていることで、決して不自然ではありません。
ただ、胸が苦しくなる、話の内容が入ってこないという身体反応が続くようであれば、それは意志の力だけでどうにかする段階を越えているサインかもしれません。心療内科や、認知行動療法を扱うカウンセリングでは、こうした対人場面の緊張に具体的な方法で対応してくれます。
「治療」というより「練習の伴走者を持つ」という感覚で、専門機関への相談もご検討ください。それは頑張りが足りないからではなく、回復への合理的な近道です。





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