補章 ―選ばれた側にも、選んだ夜があった
ある晩、相手から珍しく長い連絡が来ました。「この前、定食屋に誘ってくれて嬉しかった。最近、少し距離を感じていたから」と。その一文を読んで、私は手が止まりました。距離を感じていた。当たり前です。私はずっとこの人を条件の枠に入れて、心の奥には入れてこなかった。気づかれていないと思っていた。でも、気づかれていた。
思い返せばこの三年、連絡はいつも向こうからでした。誕生日を覚えていたのも、体調を気遣ってきたのも、私の仕事の愚痴を最後まで聞いてくれたのも、全部この人だった。私はそれを「ありがたい」で処理したことはあっても、「嬉しい」と感じたことがどれだけあっただろう。
この人もきっとたくさんの相手の中から、私を選んだ夜があったはずです。私が条件で値踏みしていた同じ時間、この人は私の何を見て、「この人がいい」と思ったのか。私は一度もそれを尋ねたことがなかった。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:……この連絡を、よく書いてくださいましたね。「距離を感じていた」という一言。これ、相手の方がずっと黙って抱えていた寂しさが、初めて言葉になった瞬間ですよね。私たちはこれまで、あなたの台所の冷たさばかり見てきた。でも向こうの部屋にも、ずっと灯りを点けて待っていた人がいたんです。
アキ:これ読んで、正直ちょっと胸が痛くなった。私さ、第一章からずっと相談者さんの味方でいたけど、相手の人の気持ちってほとんど考えてなかった。誕生日覚えてて、愚痴聞いて、いつも自分から連絡して。それって好かれてるかどうか確信が持てない相手に、ずっと手を伸ばし続けるってことだよ。けっこう勇気いることだよね。
ケンゴ:私は、ここではっきり言っておきたい。これまで私は「条件で選ぶことは悪ではない」と擁護してきた。だがそれは、選ばれた側が値踏みされていることに気づいていないという前提があってのことだ。今回、相手はとうに気づいていた。気づいた上で三年、誠実であり続けた。これは構造の問題ではない。一人の人間が報われないかもしれない場所で払い続けてきた、コストの問題だ。私は自分の助言を、一段修正しなければならない。
サキ:ケンゴさんがそうおっしゃるの、私は大事なことだと思います。ただ──ここで相談者さんを「ひどい人だ」と裁くのも違うと思うんです。この方はいま、初めて相手の寂しさに気づいて手が止まった。気づけたんです。気づけなかった人は止まりもしませんから。罪悪感で潰すのではなく、その「気づき」をどう生かすかですよね。
ケンゴ:……同感だ。裁くために言ったのではない。この方が次に取る行動の重さを共有したかった。
アキ:うん。相手を一人の人間として初めてちゃんと見ようとしてる。それ自体が、もう前と違うもんね。
シオン:ご本人の話に戻りたい──あなたは「この人も私を選んだ夜があったはずだ」と書かれた。私はその一文に、この物語のいちばん深い転回を見る気がする。これまであなたは選ぶ側、測る側にずっと立っていた。けれど今、あなたは初めて相手もまた誰かを選び、誰かを思い、不安の中で手を伸ばす存在なのだと想像した。嫉妬とは、自分の「欠け」ばかり見る感情だ。けれど他者の夜を想像できたとき、人はもう、ただ羨むだけの場所に立っていないのではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が「条件で見てきた」三年のあいだ、相手は私の何を見ていたのか。私はそれを一度でも尋ねようとしたか。
- 「ありがたい」と「嬉しい」は違う。私はこの人に感謝はしても、心は開いてこなかったのではないか。それはなぜか。
- もしこの関係を続けるなら、私は相手の誠実さに、これから何で応えていけるのか。
- もし続けないと決めるなら、その人が払い続けてくれた三年に、私はどんな形で礼を尽くして終えるべきか。
本日の羅針盤
これまでの三章は、あなたの嫉妬とあなたの「欠け」を巡る物語でした。けれどこの補章で、物語の重心が静かに動きました。あなたの隣にはずっと前から、選ばれるかどうかも分からないまま誠実であり続けた一人の人間がいた。その人の寂しさに、あなたはようやく気づいた。
ケンゴの視点に立てば、ここから先のあなたの選択は――続けるにせよ終えるにせよ――相手が払ってきたものへの責任を伴います。
アキやサキの視点に立てば、それでも「気づけたこと」自体が大きな転回であり、自分を責めて潰すためではなく、誠実に応えるために使うべきものです。
そしてシオンが指したように、他者の夜を想像できた人は、もう嫉妬だけの場所には立っていません。親友の幸せを羨むあなたから、隣にいる人の三年を思えるあなたへ。羅針盤の針は外の眩しさから自分のすぐ隣へと、向きを変えました。続けるのか終えるのか、その答えはまだ出ていなくていい。けれどどちらを選ぶにせよ、相手を「条件」ではなく「一人の人」として遇すること――そこから始まる物語だけは、もう始まっています。
なお、関係についての迷いや自責が深く長引くようでしたらお一人で抱えず、カウンセリングなど専門機関への相談もご検討ください。




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