「上っ面」という名の、閉じた扉のこと
レジの話から、少しだけ日々が変わりました。火曜の三分は、まだ手が震えます。でも、一行の記録はもう五つになりました。
それで欲が出たのか、私はいちばん怖いことをここに書いてみたくなりました。私は人を好きになりたいのです。友達も、いつか恋人も。でも同時に、こうも思うのです。私みたいに上っ面の関係しか作れなかった人間に、そんな資格があるのだろうかと。私はいつもその場だけ調子を合わせて、心の芯では誰にも近づかせなかった。だから七年、誰の心にも残らなかったのだと思います。
アキ:その「上っ面しか作れなかった」ってところ、私、ちょっと待ってって言いたい。あのね、上っ面の関係を「作れる」のって、実はすごい技術なんだよ。その場の空気を読んで、相手が心地いい距離を保って、笑わせて。それができてた昔のあなたは、無能だったんじゃない。むしろ人一倍、相手を見てた人だよ。
ケンゴ:そこは私も同意する。ただ――彼女が言いたいのは技術の話ではないだろう。「深く結ばれた実感が一つもない」という、手ごたえの欠落だ。そこは正面から認めたほうがいい。上っ面が悪なのではなく、上っ面「しか」選べなかった理由がある。私の見立てでは、深く近づけば近づくほど、拒まれたときの傷が深くなる。だから彼女は無意識に、浅いところで関係を切り上げてきた。これは臆病ではなく、防御だ。
アキ:……そうだね。深く好きになるって、それだけ「失うのが怖くなる」ってことだもんね。うん、防御。私、その言い方のほうがしっくりくる。
シオン:ひとつ、問うてみたいことがある。あなたは「誰も残らなかった」と書かれた。けれどあなたのそばには今、母上と、兄上と、一匹の猫がいる。その子はあなたが上っ面かどうかを、一度でも問うただろうか。
――猫は私が調子を合わせなくても、そばにいます。むしろ私が泣いている日ほど、膝に乗ってきます。
シオン:ならばあなたはすでに、上っ面ではない関係の中を生きておられる。深く結ばれるとは、気の利いた言葉を交わすことではないだろう。相手が泣いているとき、ただ膝に乗る。それだけのことかもしれない。あなたは資格を問うているが、その資格は猫があなたに、とうに手渡している。
アキ:……あのさ。人を好きになりたいって願ってる時点で、もう扉は開きかけてるんだよ。閉じきってる人は、そもそも「好きになりたい」なんて思わないもん。あなたが怖いのは扉が開かないことじゃなくて、開けたあとにまた閉められることでしょ。だったらいきなり大きな扉じゃなくていい。まず、お母さんに「ありがとう」を一回、声に出して言ってみるとか。それも立派な、深い関係へのリハビリだよ。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が「上っ面しか作れない」と言うとき、私は「深い関係」をどれくらい高く、遠く見積もっているだろう。
- 私が調子を合わせずにいられる相手は、本当に一人もいないだろうか。(家族、猫、匿名の誰か、あるいは過去の一人)
- 「好きになりたい」と願えている今の私は、扉を閉じきった人だろうか。
- 深く結ばれるとは、私にとって具体的にどんな瞬間を指すのだろう。それは本当に、言葉の巧みさが要るものだろうか。
本日の羅針盤
アキは言います。「好きになりたい」という願いそのものが、あなたの扉がまだ開いている証拠です。恋人や親友という大きな扉の前に、家族への「ありがとう」という小さな扉から、開け方を思い出していけばいい。
ケンゴは言います。あなたが浅い関係を選んできたのは能力の欠如ではなく、深く傷つくことを避けるための合理的な防御でした。まずそれを、臆病と呼ぶのはやめること。防御を緩めるのは、安全だと確かめられた相手からで構いません。
シオンは資格を問うあなたに、こう返します。深く結ばれるとは巧みな言葉ではなく、相手が沈んでいるときにただそばにいることなのかもしれない。そしてその関係をあなたはもう、膝の上の重みとして知っている。
もし「人が怖い」という感覚が日常の動作を止めてしまうほど強いときは、対人不安を専門に扱う相談機関やカウンセリングの手を借りることも、一つの確かな選択です。人を好きになる練習は、一人で挑む必要のないものです。




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