「好き」の温度差を、親友の食卓で測ってしまう夜
私は地方都市で書店員をしている、四十手前の男です。妻はいません。学生時代からの男友達がひとり、二十年来の付き合いで、月に一度は必ず会って酒を飲みます。
その彼に、半年前から付き合っている女性がいる。歳は彼より七つ下で、看護師をしているという。夜勤明けの体で、それでも彼のアパートまで通ってくるそうです。出会いは行きつけの定食屋で隣り合ったことだったとか。互いの親にもう挨拶を済ませたと、彼は照れもせず話す。スペックがどうとか、そういう話じゃない。彼が本当にその人を好きで、その人も彼を好きで、ただそれだけの理由で一緒にいる。それが私には眩しすぎる。
私にも、三年前から続いている相手がいます。条件で言えば申し分ない。私を大事にしてくれているのも分かる。でも私は、出会った頃から相手を「条件」で見てしまっていて、心の底から好きだと言い切れない。彼らが半年で一緒に暮らし始めたという話を聞いた夜、自分の部屋の冷えた台所に立って、なぜこんなに胸が痛むのか考えました。大事な友達の幸せを素直に喜べない自分が、いちばん嫌でした。
よりみちナビゲーターの対話
サキ:読ませていただいてまず思ったのは、あなたはご友人の幸せそのものに嫉妬しているわけではないんですよね。だって「大好きだからこそつらい」とおっしゃっている。台所に一人で立っていた、その冷えた感じ。嫉妬というより自分の選んだ生活に、温度が足りないことに気づいてしまった音じゃないですか。
アキ:わかるよ、それ。隣の幸せがまぶしいんじゃなくて、まぶしさのせいで自分の手元が急に暗く見えるんだよね。喉の奥がきゅっとなる感じ。私もある。でもね、私が言いたいのはまず、「喜べない自分が嫌い」っていうのを一回ほどいてあげてほしいってこと。嫌いになる前に、寂しかったんでしょ。
ケンゴ:アキさんの言うことは分かる。ただ──私は感情を撫でるだけでは、この方の朝は変わらないと思う。問題の構造ははっきりしている。この方は三年間、「条件で選んだ相手」との関係を維持し続けている。嫉妬の正体は、隣の芝ではない。自分が「好きでない相手」と過ごす時間の累積に、自分で気づいてしまったことだ。喜べないのは当然だろう。比較対象が、自分の選択の答え合わせになっているのだから。
サキ:ケンゴさんのおっしゃること、分かります。ただ──そこで「では別れて選び直せ」とは、私は言えないんです。三年という時間は、紙の上の数字じゃない。一緒に食べた夕飯の数だけ、別れには現実の重さがある。明日の朝一人で台所に立って、それでも生活が回るのか。そこを見ないで構造だけ語ると、結局この方をもう一回、冷たい場所に置き去りにしてしまう気がして。
ケンゴ:……生活の重さ、か。それは私の盲点だったかもしれない。
シオン:ご本人の話に戻るが──あなたは「この気持ちをどうしたらなくせるか」と問うておられた。けれど、なくすべきものなのだろうか。痛みはまだそこに、何か望みが残っているという合図かもしれない。本当に枯れたものは、もう痛みもしないのではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 私が羨ましいのは「彼らの関係」だろうか。それとも「迷いなく誰かを好きでいられる、その状態」のほうだろうか。
- 「条件で選んだ」と自分を責めるとき、私は本当に相手を見ているか。それとも、選んでしまった過去の自分を裁いているだけではないか。
- もし親友の恋が始まっていなかったとしても、私は今の関係に満ち足りていただろうか。
- この胸の痛みがすっかり消えたとき、私はどんな生活の中に立っていたいのか。
本日の羅針盤
嫉妬はあなたが冷たい人間だという証拠ではありません。むしろ自分の暮らしに足りないものを正確に言い当ててしまう、不器用なまでに正直な感覚です。
サキの視点に立てば、答えを急ぐ必要はありません。明日の朝、台所に立てる自分を保ったまま、ゆっくり「自分の温度」を測り直していく道があります。
ケンゴの視点に立てば、いつかは「条件」と「気持ち」のどちらに自分の人生を預けるのか、向き合う日が来るのかもしれません。どちらが正しいということではなく、あなたがどちらの重さに耐えられるかです。
そしてシオンが言うように、その痛みは消すべき故障ではなく、まだ何かを望んでいる心の音かもしれません。親友への愛情と嫉妬は、同じひとつの心から出ている。それを抱えていられること自体が、あなたのまっとうさだと思います。
なお、こうした気持ちが眠れない夜や食欲の乱れにまで及ぶようでしたら、一人で抱え込まず専門のカウンセリングなど専門機関への相談もご検討ください。




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