人手不足と人余りが同時に来る国で。労働を「数」として扱わないための思考法

第二章 ― 一枚の紙が、朝を変える

内容証明という名の静かな盾

ケンゴ:前章で「鎧を渡したい」と言ったが、具体的に話そう。あなたが今すべきなのは、所長の机に食い下がることではない。退職届を一通、郵便局から内容証明郵便として送ることだ。これは「この文面の手紙をこの日、確かに送りました」と郵便局が証明してくれる仕組みだ。配達証明を付ければ、相手が受け取った日も記録に残る。

所長がどれだけ「意味ない」と言おうと、紙は黙って事実を積み上げる。あなたが辞意を伝えた日は、もう動かせない。あの蛍光灯の下で、あなたが言葉に詰まる必要はなくなる。

サキ:それ、私も一度だけ経験があるんです。フリーランスで、どうしても言葉が通じない取引先に書面を送ったことがあって。ポストに投函する前、封筒を握った手が少し震えたのを覚えています。でも投函した帰り道、商店街を歩きながら、肩の荷が半分おりたような気がしたんですよね。口で言い合うのと紙に託すのとでは、心の疲れ方がまるで違うんです。

ケンゴ:そう。口論は消耗する。だが書面は、あなたの体力を奪わない。しかも今回、あなたには腰の診断書がある。「医師から就労の継続を止められている」という事実は、会社にとっても無視しにくい。退職理由に一行「健康上の理由により」と添えるだけで、話の重みは変わる。

「見捨てるようで」という、いちばん重い荷物

サキ:ただ──ケンゴさん。私が気になっているのはこの方が書いていた、「あの人たちを見捨てるようで」という一言なんです。手続きが整っても、この気持ちは残りますよね。人手不足の現場で、残る同僚のことを思う。それができる方だからこそ、こんなに苦しんでいる。

ケンゴ:サキさんの指摘は正しい。ただ──私はこう考える。あなたが体を壊して倒れたとして、それは職場を救うことにはならない。むしろもう一人、欠員を生むだけだ。長期で見れば、動けるうちに引き継ぎを整えて去ることのほうが、はるかに責任ある選択だと思う。罪悪感はあなたが誠実だった証拠であって、残るべき理由ではない。

サキ:……そうですね。倒れてから辞めるより、立っているうちに引き継ぎのメモを一枚残すほうが、よほど同僚のためになる。生活を守るというのは、そういうことなんですよね。明日の朝、自分の足で立てる状態を保つこと。それは逃げじゃない。

シオン:見捨てるという言葉を、あなたは自分に向けて何度も使ってきたのだろう。だが、職場を回してきたのは経営でも制度でもなく、あなたのような人の腰であり、朝だったのではないか。すり減らせと言う場所にいつまでも縁を結んでおく理由が、はたしてどこにあるだろう。糸は切れるのではない。ほどけていくのだ。

具体的な段取り、三つ

ケンゴ:感傷の話が続いたので、最後に事務的な地図を置いておく。

一つ、退職届を書く。日付、退職希望日、「健康上の理由により」の一文、署名。これだけでいい。長々とした理由は不要だ。

二つ、それを内容証明郵便+配達証明で送る。郵便局の窓口で「内容証明でお願いします」と言えば、書き方も案内してくれる。控えは必ず手元に残す。

三つ、それでも会社が不当な引き止めや、離職票を出さないといった嫌がらせをしてきたら、そのときは一人で戦わない。労働基準監督署か、地域の労働相談窓口へ持ち込む。腰の診断書と内容証明の控えがあれば、あなたの立場は十分に強い。

自分に問いかけるロードマップ

  • 「見捨てる」という言葉を、私はいつから自分を責める道具に使ってきたのだろう。
  • 引き継ぎのメモを一枚残せるのは、倒れる前の私だけだ。その一枚をいつ書くか。
  • 会社と直接やり取りするのがつらいなら、書面や第三者に任せる選択を自分に許せているか。
  • 私が本当に守りたいのは職場の頭数なのか、それとも明日の朝、痛みなく起き上がれる自分の体なのか。

本日の羅針盤

第一章で示した「退職は許可制ではない」という土台の上に、第二章では一枚の紙という具体的な手段を置いた。内容証明郵便は言葉で消耗せずに権利を行使するための、静かな盾だ。診断書という事実を添えれば、その盾はさらに堅くなる。

そしてサキとシオンが照らしたのは、手続きが片付いても残る「見捨てるようで」という荷物だ。これはあなたの誠実さの重さであって、あなたを縛る鎖ではない。倒れてから去るより、立っているうちに一枚のメモを残して去る。それが残る人への最後の、そして最良の贈り物になる。

去ることは、糸を断ち切ることではなくほどくこと――シオンの言葉を、朝の布団の中で思い出してほしい。

会社が離職票を出さない、しつこく引き止めるといった具体的なトラブルが生じた場合は、管轄の労働基準監督署の総合労働相談コーナー等で無料相談が受けられます。腰の状態が悪化するようであれば、まず医療機関を優先してください。心身の負担が大きいときは、一人で抱え込まず、専門機関への相談もご検討ください。

よりみちナビゲーター

人生の岐路で立ち止まったすべての人へ。答えを「断定」せず、あなた自身が納得できる「複数の選択肢」と「視点の切り替え方」を優しくお伝えする道案内チームです。

よりみちナビゲーターをフォローする
職場関係

コメント

タイトルとURLをコピーしました