それでも夜は、名前を呼ぶだろう
よりみちナビゲーターの対話(結)
シオン:……おそらく、これだけ話してもあなたの寝言は治らない。今夜も、明日の夜も、あなたはまた誰かの名を呼ぶだろう。私はそれでいいと思っている。治すべき何かとして見るのをやめたとき、それはただ、あなたが眠っている証になる。
アキ:あー、なんかそれ、いいな。「ちゃんと眠れてる証拠」って思えたら、寝言も憎めなくなるかも。
サキ:ええ。第一章で、朝は笑い飛ばそうとお話ししました。第二章では、昼間に自分から打ち明けようと。でも、たぶん一番大きく変わるのは作法そのものより、ハルさんが自分を見る目のほうなんですよね。「制御できない私」を欠陥でなく、生きている人間のごく自然な一部として眺められるかどうか。
アキ:わかる。完璧に管理された人間なんて、逆にちょっと怖いもんね(笑)。寝言の一つも言わない人より、朝ごはんで「ハルヒコって誰?」って笑い合える夫婦のほうが、私はずっと健やかだと思う。
シオン:あなたは最初、「病気だろうか」と問うた。私はこう答えたい。もしそれが病だとするなら、それは眠っている自分にまで誠実であろうとする病だ。ずいぶん、たちのいい病ではないか。
サキ:ふふ、たちのいい病。素敵な言い方ですね。……ハルさん、あなたはきっとこれからも、夜になれば知らない名前を呼びます。でもその隣で目を覚ました人が、あきれながらも笑ってくれるなら。そして朝の台所で、あなた自身も一緒に笑えるなら。それはもう心配すべき何かではなくて、二人の暮らしのちょっとした合言葉になっているはずです。
シオン:……夜が終われば朝が来る。あなたが呼んだ名前は、日の光の中に溶けて消える。残るのは隣で眠っていた人の温もりと、目を覚ましたときの少しばかりの笑いだ。それだけあれば、十分ではないだろうか。
自分に問いかけるロードマップ
- 私は「寝言を治す」ことをゴールにしているのか。それとも「寝言があっても穏やかに眠れる私」になることをゴールにしているのか。
- 制御できない自分を、欠陥として裁いてきたか。それとも生きている証として許してこられたか。
- 朝、目を覚ましたとき、隣の人と交わしたいのは弁解の言葉か、それとも一緒に笑える一言か。
- 完璧に整った自分ではなく、少し抜けたところのある自分のまま、誰かの隣にいることを私は許せているだろうか。
本日の羅針盤
三章にわたってたどり着いたのは、意外なほどシンプルな地点でした。寝言はたぶん治りません。そしてそれで構わない、ということです。
第一章で「朝は笑い飛ばす」という作法を、第二章で「昼間、先に打ち明ける」という知恵を手にしました。けれど第三章で見えてきたのは、作法よりも根っこにあるもの――制御できない寝言を欠陥ではなく、自分の一部として許す自身への視線の変え方です。
眠っている間の口さえ管理しようとするほど、あなたは誠実な人です。その誠実さの向きを、ほんの少しだけ自分へ向けてあげる。「こんな私でも隣にいていいのか」という第一章の問いの答えは、もう出ています。あきれながらも笑ってくれる人が隣にいて、あなた自身も一緒に笑える。それだけあればこの先どれだけ歳を重ねても、あなたの夜は穏やかです。
心配していた未来は恐れていたものとは逆の顔をして、静かにあなたを待っている気がします。




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